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5 社史・下 モスラにバラ色の未来
〈「うわぁ、はじまるんや…」。プラモデルの山を見つめて、わくわくというか、天国にいるようなというか、その時の気持ちはとうてい言葉では言い表せません。これがぼくの原風景でした〉
海洋堂創業者の長男で現社長、宮脇修一さんは自著「造形集団 海洋堂の発想」(光文社新書)で、プラモ店・海洋堂が開業した昭和39年当時のことを、そんなふうに振り返っている。
宮脇社長は小学1年生だった。息子はプラモを愛していた。だから父親は、技術を持っていたうどん店にするか、プラモ店かで迷ったのだった。
宮脇少年は好きなプラモに囲まれて、思う存分に作った。店にはプラモ好きの子供らが出入りした。そのころの友達に、同社の造形師で美少女フィギュアの第一人者である「ボーメ」もいた。
県立美術館で開催されている「海洋堂の軌跡」展には、宮脇社長のプラモコレクションが飾られている。箱を山のごとく無造作に積み上げた展示で、鑑賞者を驚かす。
プラモの終えん
ブームがそうであるように、プラモも長くは続かなかった。メーカーが魅力的な商品開発ができなかったこともあり、次第に輝きを失っていく。当然、借金も膨れ上がる。しかし海洋堂は55年、流行したテレビゲームの設置で借金を返済していった。
一方で、この年は海洋堂の転機となる。近所の歯科技工士が持ち込んだ怪獣モスラの幼虫から始まった。入れ歯の材質であった歯科用レジンという合成樹脂を用いて作ったものだった。
このモスラに宮脇社長は「バラ色の未来」を見た。
プラモデル製品を出すとなると、プラスチックを流し入れる高価な金型が必要となる。しかし、合成樹脂などを使った方法であれば、金型がいらずに精密で安価な造形が可能になる。
造形師の誕生
宮脇社長の元にたむろしていた「愛好家」たちが「造形師」=キーワード=となった。
ウルトラマンやゴジラなどのキャラクターもののプラモに彼らはずっと不満を持っていた。
「子どもをばかにしとるんかい」と。
海洋堂の一室が制作工房。造形師たちはここに寝泊りして制作に没頭した。「ルパン三世カリオストロの城」に出てくるオートジャイロ、「未来少年コナン」の飛行機ファルコ、「ウルトラ怪獣シリーズ」――。
こうしたガレージキットと呼ばれる商品はマニアから高い評価を受けた。59年、海洋堂はプラモデル販売をやめ、ガレージキット専門のメーカーとなった。
【写真説明】宮脇修一社長のプラモデルコレクションの一部。日本一の収集家を自称している(高知市高須の県立美術館) 
造形師 模型の原型を作る人を指す。この造形師たちを社員としていることが、海洋堂の特色の一つ。美少女フィギュアのボーメ、動物造形の松村しのぶ、可動式アクションフィギュアの山口勝久らカリスマを抱えている。
(2006年5月26日付・朝刊)
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