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4 社史・上 プラモかうどんか
1本の木刀から海洋堂は始まった。
昭和39年初め。当時36歳、創業者となる宮脇修さんは商売に迷っていた。うどんか、プラモデル=キーワード=か。
運命を愛用の木刀に託した。天井からひもでつり、はさみでちょん切る。東西の方向に倒れたら「うどん」、南北なら「プラモ」だ。木刀は南北に倒れた。
そして4月、大阪府守口市にわずか1坪半のプラモデル店「海洋堂」が誕生した。
宮脇さんに先日こんなふうに聞いてみた。
―今はさすがにうどんじゃなくて、プラモの方に木刀が倒れて良かったと思ってるでしょう?
「わははは、どっちでもええねん。うどん屋でも一生懸命やって、それなりにはなったと思うよ」
海洋堂という会社を語るには、「宮脇修」という強烈な個性を抜きにはできない。これは回を改めて書きたいと思う。
参謀は中1生
海洋堂の歴史は、宮脇さんの自著「創るモノは夜空にきらめく星の数ほど無限にある」(講談社)に詳しい。この本には、痛快なエピソードと商売のヒントがたくさん詰め込まれている。
当時、海洋堂の参謀は同じ商店街にある家具店の息子で中学1年のター坊だった。宮脇さんは、プラモマニアであった彼の意見も聞きながら、売れ筋商品を仕入れた。
ター坊を通じてうわさは広がり、まだオープンしていない海洋堂に、子どもたちがプラモを買いに来た。何と人気商品は売り切れてしまう。「こんな話聞いたことないわ」と問屋もあきれた。開店初日も子どもたちが詰め掛け、予想していた3倍も売り上げた。
モケイプール
開店3カ月で店は倍の3坪になった。年末商戦に向けて宮脇さんは最新商品を投入する。モーター付きの模型自動車をコースで走らせる「スロットレーシング」だった。
商品を置くばかりでなく、店にコースを設置して実演する。国家公務員の初任給が2万円足らずの当時、1万8000円という超高額商品だったが、100台以上を売り上げた。
〈日本一のモケイ店になろうという意識を持ったのは、その時であったのかもしれない〉(同著より)
潜水艦やボートなど水面をモーターで走らせるプラモデルは発売されるが、肝心の楽しむ場所がない。店内に「モケイプール」を設置した。初心者のためには「プラモ教室」をやる。レベルアップを目的として日本初のプラモ展も開催した。
「売る」だけではなく「楽しませる」という海洋堂の商いは続く。
【写真説明】海洋堂はこの小さなプラモデル店から始まった(大阪府守口市)

プラモデル 国産初のプラモデルはマルサン商店から昭和33年に発売された「潜水艦ノーチラス号」。当初は飛行機など実物模型が主だったが、42年ごろ、イマイ科学による「サンダーバード」シリーズが大ヒット。キャラクター模型という分野が確立され、現在人気の「ガンダム」シリーズにもつながっている。
(2006年5月24日付・朝刊)
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