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06年3月29日付朝刊
高知商議所女性会 千代ゆかりの山茶花を植樹
晩秋から初冬にかけて鮮やかな花を咲かせる山茶花(さざんか)―。4月1日から始まる「土佐二十四万石博」を前にした28日、高知市の高知公園にある山内一豊の妻、千代の像のそばに高知商工会議所女性会(真鍋由子会長)のメンバーらが山茶花の植樹を行った。この山茶花と千代をめぐっては、一枚の書状が高知市の土佐山内家宝物資料館に残されている。高知城に新たな彩りを加えた山茶花に、千代の姿を重ねた。
慶長10(1605)年の一豊の死後、出家して「見性院」の法号を受けた千代は土佐を去り、伏見(京都)へと移り住む。ある時、豊臣秀吉の正室、北政所が「薄色の山茶花」を欲しがっていることを知った見性院は早速、一枚の書状を土佐二代藩主忠義に送った。
当時は、徳川家と豊臣家の存亡をかけた最後の戦い「大坂の陣」を前にした混乱期。手紙には、時の情勢を考え、「北政所に失礼のないよう手早く対応するように」という指示が書かれていたという。
見性院は京都で時勢を見つめながら土佐へ情報を伝えていたとも言われ、この「山茶花」にも一豊の死後、山内家のために心を配る千代の思いがあった。
この日は同会のメンバー約20人が千代の像の汚れを丁寧に落とした後、樹高約1・8メートルの山茶花の若木5本を植樹した。参加した同会の田村安子さんは「千代像にもこの山茶花を見守ってほしいし、私たちも(山茶花にまつわる)千代の心を引き継いでいきたい」と話していた。
植樹された山茶花は、来年1月から2月にピンク色の花が咲き、5年ほどで成木に成長する。冬には「現代の千代」らの思いがこもった山茶花が美しい花を咲かせる。
【写真説明】「大きくなあれ」と千代の像を後ろに、山茶花を植樹する女性会のメンバー(高知市の高知公園)
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