「腰回りが大きくなっているようだけど体は細い。投げる腕のしなりも昔のままですね」
日に焼けた笑顔で会社員、池内和矢さん(25)=高知市南万々=は切り出した。藤川投手とは小高坂小から城北中、高知商高と同級生。何百試合もバッテリーを組み、数え切れない球を受けた。球児の「ルーツ」を知る一人だ。
2人は小学3年の時、少年野球の小高坂ホワイトウルフに入団した。指導は厳しかった。週3回の練習はいつしか毎日。終わりが夜10時になることもあった。ミスが出たら、選手同士でガンガン言い合う。「少年野球らしくないというか、高校の強いチームのような雰囲気でした」。2人が6年生の8月、県大会で優勝した。ユニホームは監督の好みから高知商高にそっくりだった。
「球児は、ほかの投手と球の速さが全然違っていた」。コントロールも良く、四球を出すことはほとんどなかった。もともときれいなフォームだったことに加え、練習で1日100―200球の投げ込み。球児の「原型」をつくった。ただ、「球質が軽くて、芯(しん)をくったら飛ばされた。ミットで捕っても手が痛くなかったような記憶があります」。
印象深かったのは球児の「野球好き」。4年生の冬、風邪で学校を休んでいた藤川少年がひょっこり練習に現れた。「『大丈夫かや』って、こっちが心配したら『汗をかいたら熱が下がる』って…。冬場はトレーニング中心でしんどいんですが。僕らの中で一番野球が好きでしたね」
副キャプテンの藤川投手だが、遊びではリーダー格だったという。「人を笑わせるのが好きでしたね」。にぎやかな中心にはいつも球児がいた。
このころ、みんなプロ野球選手を夢見ていた。藤川少年は好きな球団名を口にすることはなかったが、プロの投手のまねをして遊ぶことがあった。年を重ね、仲間が一人また一人と“引退”していく中、藤川投手は阪神に指名された。「『やっぱりな』と。子どものころから輝いていたから」。変わらない球児の面影をテレビで見ながら、池内さんは思った。(運動部=山崎道生)
【写真説明】小高坂小6年生の運動会。笑顔で仲良く並ぶ藤川少年=右=と池内さん(1992年10月・小高坂小=池内和矢さん提供)
|