「いくら名医がいて、いい病院だと言われていても、やっぱり自分の子どもに合っていない病院は駄目。自分たちが満足のいく病院を見つけるまでが大変だったんです」
高松市郊外の川沿いに立つマンションの一室。黒川裕子さん(43)は、傍らにいる娘の文子(あやこ)さん(11)に視線をやりながらそう振り返る。
腎臓病の一種、先天性ネフローゼ症候群だった文子さんは7年前、本県の県立中央病院(当時)で、裕子さんの腎臓の片方を移植する手術を受けた。現在は体調も安定し、3カ月に1回、統合後の高知医療センターに検査に通っている。
放り出された
文子さんは平成5年8月、高松市内の産科医院で生まれた。すぐに異常が判明し、そのまま救急車で地元の大学病院へ。NICU(新生児集中治療室)の保育器の中で点滴を受け続けた。
1年後、大学病院から「まるで放り出されるように」(裕子さん)、東京都内の小児専門病院を紹介された。そこで腎臓を摘出し、腹膜透析をしながら1年半を過ごした。
その間、裕子さんは近くに部屋を借り、夫や長男と離れて暮らしながら毎日、面会に通った。文子さんが危篤に陥ることもしばしば。不安と孤独で泣いてばかりいた。
文子さんは医師や看護師に懐かず、そのせいか、彼らの扱いが冷たいと裕子さんは感じた。そんな中、ある看護師だけは「懐かないのは私たちの責任」と、一緒に遊ぶよう努めてくれた。おかげで文子さんは次第に元気になり、ほかの子どもとも遊ぶようになった。
その後、地元で受け入れてくれる小児病院がようやく見つかり、母子で帰郷。文子さんの体調が上向いたころ、腎臓移植を勧められ、紹介されたのが本県の県立中央病院の堀見忠司副院長(当時、現・医療センターがんセンター長)だった。
病との闘いが始まってから5年―。親子にようやく、希望の光が差し込んだ。
心強い一言
平成10年8月、中央病院で受けた腎臓移植手術は無事成功し、1カ月後には退院した。
堀見医師は、いつもニコニコと明るい笑顔で親子を元気づけ、迅速で的確な判断は親子を不安にさせなかった。何より心強かったのは「何かあったら24時間いつでも連絡してらっしゃい」―その一言だった。
移植後、文子さんは拒絶反応や免疫抑制剤の影響による感染症に見舞われたこともあったが、2年ほど前から体調が安定。日常生活に制限はあるものの、今は毎日、学校に通うのが楽しくてたまらないという。
「前はほとんどベッドの生活だったから…。テストの成績もいいんですよ」と笑顔で話す裕子さん。夫の謙三さん(48)も「今では親よりパソコンもデジカメも達者なんですよ」と目を細める。
幾つもの医療機関を経た末に黒川さん親子がたどり着いたもの。それは満足のいく医療との出合いであり、患者や家族にとって信頼できる医師や看護師、病院との出合いだった。
「今、私たち親子はとっても前向き。だってこんなに元気なんですから」
一人でも多くの患者やその家族が笑顔を取り戻せる―。医療センターには、そんな医療を提供する病院になってほしいと願っている。
【写真説明「娘も元気になって、私たちは今、とても前向きなんです」と笑顔で話す黒川さん親子(高松市の自宅)
(統合病院取材班)
=2005年8月1日付・朝刊
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