「どうかこの子を助けて、お願いです!」
20××年、師走の深夜。高知医療センター屋上のヘリポートにつながるエレベーターのドアが開くと同時に、悲痛な叫び声が飛び込んできた。重度の熱傷を負い、ドクターヘリで運ばれてきた乳児の母親だった。
熱傷の範囲は全身の50%以上。命が危ない。すぐさま救命救急センターの処置室にランプがともった。麻酔科、小児科、形成外科、皮膚科の専門医らにも緊急コール。長く壮絶な治療が始まった。
【写真説明】命を救う手術室(高知医療センター3階)
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2カ月後――。ピアノの自動演奏が流れるセンターの1階フロアで、第3代院長、市中民央(いちなか・たみお)は感慨にふけっていた。
05年の開院当時、高知県は人口当たりの病院数、一般病床数とも全国1位。一方で無医地区の数もトップ水準にあった。医療機関と病床の過疎・過密を抱え、そのいびつな医療構造が批判のやり玉に挙がっていた。
だが今は違う。10万人当たりの医師数(02年時に258・5人)はまだ全国上位ながら、県中央域の病床過密は大きく改善。郡部では診療所の機能が充実し、リハビリ施設も数多くできていた。
一般外来を扱う1次、専門外来や入院を扱う1次、そして高度な3次医療を、公立・民間の垣根を越えてつなげる医療連携はより強固になり、医療センターは外来機能を最小限に圧縮。名実とも高度医療に特化した県内医療の「センター」に育っていた。
11階のレストランでは、入院中の糸美さん(85)が海を眺めていた。あす退院。県東部の村に7日ぶりに帰れる。
糸美さんは少し前、村の診療所で胃がんと診断された。心臓に持病もあり不安がっていると、診療所の若い林医師は「心配ないですよ。糸美さんに一番いい病院を紹介しますから」と医療センターに電子紹介状を送ってくれた。
林医師は家族全員のかかりつけ医。県内ではもう、○○医大の系列といった話は聞かない。各地に根差す医師の多くが医療センターなどで臨床研修を積んで育っていた。林医師もそんな一人だった。
医療センターのがんセンターと循環器病センターが協力した手術は無事成功。林医師も副主治医として立ち会った。術後は看護師の心のこもった世話が続いた。主治医は回診の際、ベッドの情報端末で日々の回復具合を丁寧に説明してくれる。退院後は村の診療所でアフターケアを受けるが、不安は全くない。
高齢化率は県平均40%、糸美さんの村では70%に達していたが、医療・保健・福祉の連携が進み、医療は「予防」に重心が移っていた。全国一だった県民1人当たりの医療費(1999年当時34万円)も全国中位まで下降。信頼できる地域医療ネットワークが県民を包み込んでいた。
熱傷で運び込まれたあの夜の子どもは数回の皮膚移植を経て、集中治療室から一般病棟に移った。大手術に一丸となって挑んだ各診療科の医師たちもその病室に集まり、順調な回復ぶりに目を細める。
重度のやけど以外にも、県外に頼らざるを得なかった高度な治療を担えるようになった医師団。看護師や薬剤師、栄養士、医療技術者も、やりがいを持って患者サービスに取り組んでいる。自治体病院を統合し、運営に民間のノウハウを導入した「高知方式」は、全国に自治体病院変革のうねりを押し広げてもいる。
「これなんだ、統合で目指したのは」。市中院長は医療が変わったことを実感した。
(統合病院取材班) =2005年2月8日付・朝刊
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