日曜日の朝、高岡郡窪川町若井の土佐くろしお鉄道若井駅は小1時間ほどにぎやかになる。子供たちが竹ぼうきやぞうきんを手に、ホームや待合所のそうじを始めるのだ。小学生のボランティア「若井子供会」が毎週受け持つ地域の伝統行事は、もう40年ほど続いている。
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「この子らあ、まだろくにほうきもよう使わんがです」
10月中旬の日曜日。そうじ道具を少し持て余し気味の子供2人に温かいまなざしを注ぐ、婦人会の女性たちがいた。今年から当番制で応援に来ているという。
40戸ほどの小さな集落だが、かつては15、6人の小学生がいた。それが少子化が進み、ついに今年から小学1、2年生の幼い2人だけになってしまったのだ。
若井駅は、予土線開通より10年以上早い昭和38年12月、国鉄中村線が土佐佐賀まで開通したときに開業。これをきっかけに、数年して子供会の活動が始まった。
「へえー、今でも続いているんですか。子供が少なくなったからどうかと思っていたけど」
岩村かおりさん(34)=同町峰ノ上=は「さぼると怒られると思って、毎週まじめに通った」と当時の6年間を懐かしむ。3歳のときには危うく列車にはねられそうになり、ホームの下のわずかなすき間で助かった経験もあるという。
“一期生”に当たる西内一隆さんは49歳になった。回顧談は「小学5年のとき、総代(地区長)に呼ばれて。何ぞくれるろうかと思ったら、『駅をそうじしてみんか』で、がっかり」。
赤字ローカル線で存廃論が絶えずつきまとってきた予土線は、中でも経営合理化が叫ばれた昭和50年代の半ばに最大のピンチを迎える。加えて、窪川町では原発騒動が持ち上がった。55年、藤戸進町長が町議会で誘致を表明したのだ。
当時20歳そこそこの西内青年は、原発反対の立場で奔走した。「居酒屋では推進派、反対派がぱっちり分かれて飲んでいた」対立の時代。若井の住民も二つに割れたが、「溝が深まることはなかったねえ」。
同年11月、町長リコール運動が起こる。翌年3月にはこれを阻止すべく、自民党から大物が送り込まれてきた。「原発をやるなら、予土線は残す」。桜内義雄幹事長の演説を、複雑な思いで受け止めたことだった。
町は政治に揺れても、子供たちは当たり前に駅そうじを続けた。遊びたい盛りに、あまり面白くもない活動が40年も続くのは、地域ぐるみで子供を育てる“住民力”だろうか。
開業記念に植えた線路脇の桜はとうに「不惑」を超え、子供たちを見守ってきた。「まだまだ続くろうね、子供らがおる限りは」。少子高齢化の不安をぬぐうように、西内さんが感慨にふけった。
【写真説明】40年近く続く「若井子供会」の駅そうじ。少子化で、今年から婦人会も応援に(窪川町の土佐くろしお鉄道若井駅)
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