美しい自然を貫く鉄路を伝い、冒険旅行に出た少年たち。幼かったころへの郷愁を切なく描いたアメリカ映画、「スタンド・バイ・ミー」の印象的なシーンをほうふつとさせる思い出話を聞いた。
線路上を歩くという危険な違法行為を美化するわけではないが、予土線開通日に生まれた新谷拓さん(31)=幡多郡十和村大井川出身、愛知県豊田市在住=が、反省も込めて胸の奥にしまってある大切な記憶だ。
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昭和49年3月1日生まれ。当時の平野寿明・十和村長から開通にちなんだ名を授かった新谷さんだが、人生の滑り出しから険しい道が待っていた。
1歳のとき、自宅で2人の兄と遊んでいるうちに2階から転落、生死をさまよった。意識が戻らない状態が43日も続いた。奇跡的に回復したものの、右手右足が自由に動かせない障害が残った。
小学校に上がる前には養護学校を勧められた。しかし、家族は普通校を希望する。
「せっかく記念の日に生まれたのに、けがをさせてしもうて…。家族一丸、一歩一歩、階段を上るような気持ちで励ましおうて来ましたが、負けん気の強い子で…。本人の努力が一番です」と母、和美さん(65)。
その後、昭和中学、大正高校と進んだ。高校時代はソフトボール部。レギュラーの座は遠かったが、誰にも負けない技を磨いた。左手で捕球すると素早くグラブを右脇に抱え、左手でボールを抜き取って送球。隻腕で有名な大リーグ・アボット投手のようなグラブさばきだったらしいが、試合で披露する機会はあまりなかった。
同じ昭和駅から汽車通学する2人のチームメートがいた。ある時、授業が早く終わり、いつも帰る汽車は2時間も先。3人組はしびれを切らし、「歩いて帰るか」。面白半分、人目につかない所から線路に入り、とぼとぼと歩き始めた。
鉄橋とトンネルばかりで危険この上ない区間。映画では間一髪、迫り来る蒸気機関車から逃れる場面があるが、「いや、(僕の)リアル『スタンド・バイ・ミー』では、そんなシーンはなかったなあ。1カ所、怖くて渡れない鉄橋は道路に下りたし。『やっぱり歩くんじゃなかった』と話していたら、乗るはずだった汽車に追い越されました」
高校卒業後、愛知県豊田市のトヨタ自動車広瀬工場に職を得てもう13年が過ぎた。寮を離れ、今年から一人暮らし。人間関係に悩んだこともあったが、名前の通り、前向きな生き方を貫いてきた。
ふるさとの便りが独特の香りとともに送られてくる。両親が栽培している香り米「十和錦」。懐かしい味をかみしめると、映画の主題歌になったベン・E・キングの名曲とともに、禁じられた冒険の記憶もよみがえる。
【写真説明】新谷さんが高校に通ったころの予土線大正―昭和間。今は沈下橋と鉄橋の間に抜水橋が通っている(十和村三島)
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