
ちょっとした山登りの気分だった。
南仏カンヌの町からローカルバスに乗って、ひっそりとした停留所に降りた。近くにいた若い夫婦に、ピカソのアトリエがあった場所を聞くと「あの丘の上だよ」と教えてくれた。
のどかな山道を登っていた。澄みきった水が流れる小川をいくつかまたいだ。こうしてピカソ終えんの地であるムージャンにたどり着いた。
ピカソのアトリエは「ノートル・ダム・ド・ヴィ」と呼ばれていた。それはアトリエのそばにあった古い礼拝堂の名前から取られたものだった。丘の頂上にある礼拝堂を目指して歩く。
「丘の上だよ」と教えられたとき、ピカソ晩年の心持ちが伝わってくるようだった。
世界的な有名人のもとには絶えず人が押し掛けてきた。来客と雑事をシャットアウトするのは、ジャクリーヌの大きな役目の一つだった。
ピカソは静かな環境で、ただもうずっと描きたかったのだ。絵画への挑戦は続いていた。しかし残された時間は少ない。80歳になっていた。だから丘の頂上のアトリエは格好の場所だった。
古い礼拝堂に人けはなく、何もかもがひっそりとして、鳥の鳴き声だけが響いた。
すぐそばにアトリエであり、住居だった建物を見つけた。今、そのあるじなき建物の周囲は鉄条網で張り巡らされて、立ち入ることはできなかった。無人なのだろうが、その煙突から煙が立ち上る様子を夢想してしまった。
1973年4月8日、この住居の寝室でピカソは急死した。それはちょうど31年前の今日という日のことであった。
いよいよ開幕するピカソ展の見どころは、このノートル・ダム・ド・ヴィで制作されたであろう作品の数々である。ジャクリーヌへの親愛を青の色彩で描いた「椅子(いす)に座るジャクリーヌ」、闘牛への愛着を込めながら生の賛歌をグロテスクなまでにうたい上げた「闘牛士」――。
生家があったマラガの広場から、ムージャンのアトリエまで……ずいぶん遠くに来たなと思った。そして、鉄条網の外から、ピカソとジャクリーヌが過ごした家を眺め続けていた。
(学芸部・竹内 一)=おわり
【写真】ピカソが亡くなったアトリエのそばに建つ礼拝堂「ノートル・ダム・ド・ヴィ」(ムージャン)