
パリから空路で南仏ニースに到着したのは夕暮れ近くだった。空港からバスでホテルへと向かう。
スペインのマドリードからピカソ生誕地マラガに到着したときと同じような心持ちになった。それは海の存在がもたらす解放感であり、自然の中に生きていることを再確認するようなものだった。
左の車窓にはリゾートホテルが立ち並び、右には無粋な防波堤のない美しい海岸がある。海のそばの広い歩道を人々は散歩し、ジョギングを楽しんでいる。
沢木耕太郎は著書「深夜特急」に、ニースの海の美しさに心を打たれて「これはひどいじゃないですか」と思うほどだったとつづる。
「これほどまでに自然が従順に人間に奉仕しているということが、何か許しがたいことのように思えたのだ」
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ピカソは南仏の地でその生涯を終えることになる。
海が好きだったのだろう。夏の海水浴は日課に近いような時期もあった。マラガのような温暖な地で過ごすことを晩年は特に望んだ。
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ニースからほど近いアンティーブの町を訪れた。こぢんまりと品の良い田舎町のような印象だった。ここにあるピカソ美術館までの道中には、高知の日曜市のような活気ある街路市もあり、新鮮な魚を売る店もあちこちにあった。
海のすぐそばには、これもまたこぢんまりとした品の良いお城があった。取材班からため息が漏れる。「ああ、いいところですねえ」
1946年、ピカソは南仏カンヌに近い場所に家を借りていたが、そこが手狭なこともあり、アンティーブにあるグリマルディ城の大きな部屋を提供され、アトリエとして使った。
ピカソは「アンティーブを訪れるたびに、私はここの古代文化に心を奪われた」と語っている。そして、この素晴らしい城の一室で地中海の神話をモチーフにした作品などの制作に熱中する。
そして、この城のほかに新しいアトリエが見つかったとき、ピカソはここで数カ月の間に制作した全作品を永久貸与の形で置いていくことにした。
城はピカソ美術館となった。
【写真】ピカソがアトリエとして使った部屋の窓から望む南仏アンティーブの風景(ピカソ美術館)