
「洗濯船」という奇妙な名前のアトリエだった。
パリ・モンマルトルの丘に1軒の古ぼけた家が建っていた。その外見がまるで、セーヌ河にもときどきやって来た「洗濯船」に似ていたことから、その名称が与えられた。詩人マックス・ジャコブの命名である。
1904年春、ピカソはここに画材を運び込んだ。それから5年ほどを過ごすことになる。この5年間は、ピカソの生涯を通じて、そして20世紀絵画史上においても、重要な5年間になる。
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「洗濯船」は1970年に焼失したが、再建されてその地にある。
似顔絵を描く画家たちでにぎわうモンマルトルの広場からは少し離れた場所にあって、そうと知らなければ見過ごしてしまうような建物だ。
なるほど船のように細長いアパートのようなものだが、それほど異彩を放っているわけでもない。訪れたときは観光客も少なかった。近所の人が犬を連れて、のんびり散歩しているような風情だ。それでも近くの薬局は「バトー・ラヴォワール(洗濯船)」と看板を掲げていた。
「ここで、アヴィニョンの娘たちが描かれたんですねえ」。同行している県立美術館の松本学芸員が感慨を込めていう。
「アヴィニョンの娘たち」――。5人の裸婦が極めて印象的な構図で描かれている。中央の2人の官能的な姿に比べて、右の2人には簡単に説明のつかない身体のゆがみがあり、異界からやってきたようなグロテスクな表情の頭部が加えられている。
「洗濯船」でこの絵を見た友人の誰もが驚いて理解できなかった。アンリ・マティスに至っては怒り出したという。フランス美術を汚すものだ、と。
100年近くが過ぎた今でも「アヴィニョンの娘たち」がもたらした衝撃をその絵から感じとることができる。「ゲルニカ」は、社会事象と結びついたセンセーショナルな絵画であったが、「アヴィニョン」は純粋に絵画的な衝撃だった。
「ピカソは4次元を創造しようとしたのだ」という悪口が言われたが、あながち的が外れてないように思う。「4次元」なのかどうかは分からないが、ピカソは全く新しい「次元」を絵画に持ち込んだ。それは「洗濯船」から始まった。
【写真】ピカソが「アヴィニョンの娘たち」を描いたアトリエ「洗濯船」(パリのモンマルトル)