
サン・ラザール駅前にあるレストランの店頭には、生ガキが盛大に並べられていた。添えられたレモンの黄色が鮮やかで、その果汁を絞ってすする海の豊潤な味に思いが及ぶ。
初冬のパリで、県立美術館の学芸員、RKC高知放送の記者と合流した。合同取材の打ち合わせを終えて、夜更けのパリを歩く。
ホテル近くのデパートは、ピンク色の照明によってライトアップされていた。俗悪にもなりかねない色であるのに、その古い建物とよく調和して美しい。そしてデパート名が投光によって歩道の路面に映し出されている。ショーウインドーには商品でなく、かわいい電動のからくり人形たちが踊り、道行く人が立ち止まる。
デパートの営業時間はとっくに終えているのに、おしゃれで華やかな演出は続いている。ああここはパリなんだな、とそんなことにも感動してしまう。
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ピカソがパリに最終的に落ち着いたのは、1904年のことだ。
20世紀という時代が始まって間もなくは、バルセロナとパリを行き来するのだが、この時期に描かれた作品群は「青の時代」と呼ばれることになる。
友人カサヘマスの自殺をきっかけとし、青の色彩を多用した一連の絵を描いた。ピカソは言った。「色の中の色、青の中で最も青い色、おまえこそこの世にある最も優れたものだ」
その色に人々の悲しみや孤独、貧しさと閉そく感が込められた。ピカソ自身の生活も貧乏を極めていた時期であり、当時の社会不安も背景にあった。
このころの絵は、スペインの画家、エル・グレコの強い影響下にある。そうしたこともあって、どこかスペイン的な気配がその多くの絵に漂う。
「青の時代」によって、ピカソはひとまず独自の世界をつくり上げた。しかし、まだ完全なオリジナルではなかった。もし、ピカソがここでとどまったにしても、大画家の一人となったであろう。だが、世紀を代表する巨匠となったのは、ピカソ自身が「青の時代」を終わらせたからである。
そこにはパリという街が宿命的に有する芸術性があり、新しい美を創造しようという人々がいた。そうした芸術家たちのうねりの中に、ピカソがいた。
【写真】パリの夜空に光を放つエッフェル塔。ピカソがこの地に居を定めたのは1904年のことだ