
マラガのピカソ美術館が最重要作品に挙げる「オルガ・コクローヴァの肖像」を前にしている。
この絵の前で、何かぞっとするような気持ちになったのは、こんなふうな理由からだ。
作品は1917年に描かれた。このころのピカソは、絵画の革新を図っていたキュビスム(立体派)と呼ばれる手法がひと段落して、後に「新古典主義」と名付けられる伝統的な枠組みの絵画に向かう時期だった。
私生活においても転換点にあった。
ピカソは詩人ジャン・コクトーの依頼で、ロシアバレエ団の衣装と舞台デザインを手掛ける。そのバレエ団の一員であったのがオルガだった。
決して派手なバレリーナではなかったようだが、ロシアの将軍の娘であって上流階級の気品を備えたオルガに心をひかれた。そして1918年、2人は結婚する。すでにピカソは画家としての名声を確立していた。2人は新たな住居を構え、運転手などの使用人を抱えた生活を始める。ピカソもパリの社交界に出入りするようになる。
このオルガの肖像は結婚の前年に描かれたことになる。しかし、愛する女性の肖像画であるのに、何か冷やりとしたものを感じるのだ。きつい目だなとも思う。その醸し出す雰囲気にも何か威圧的なものを感じて居心地の悪さのようなものが漂う。
ピカソの激しい女性遍歴などが原因で、2人は別居生活を送るが、オルガは頑として離婚に応じなかった。2人の制度的な婚姻は、オルガがピカソよりも先に亡くなることで、ようやく終わる。
ぞっとしたのは、ピカソがすでにそうしたオルガの頑迷な気質を、この時点で早くも見抜いているような気がしたからだった。
後世の私たちは2人の結末を知っているので、この絵がそんなふうに見えるのかもしれない。しかし、愛する女性を伝統的な方法で写実したにすぎない作品では決してないように思う。
「ピカソ美術館に、ただで入れたと友だちに自慢する」とはしゃぐ通訳の山本さんに、作品はどうだったかと聞いた。
「絵はまあまあ良いものもあった。でも、ピカソが作ったつぼが良かった。うん、あれはすごい」。ピカソの陶芸作品にしきりと感心していた。
【写真】ピカソがその妻を描いた「オルガ・コクローヴァの肖像」に見入る人たち(マラガのピカソ美術館)