
マラガのあちこちで「PICASSO VUELVE」というピカソ美術館のオープンを告げるポスターを目にする。通訳の山本紘子さんは「ピカソが帰ってきたぜという感じかな」と訳す。
取材の申し込みをするため、ピカソ美術館のオフィスを訪ねた。職員の女性が英語でまくし立てた。
「世界中からジャーナリストが来て対応に追われている。今日は広報担当者も休みを取っている。1週間後にまた来てください」
それでは困る。これまで未公開であったピカソの大規模なコレクション展が日本で開かれることになり、マラガまで取材に来た。どうしても館内の撮影許可をもらいたい。そうした趣旨を山本さんにスペイン語を使って説明してもらった。
彼女の流ちょうなスペイン語でオフィスの雰囲気が途端に和やかになった。何やらユーモアを交えているのか、スタッフたちの笑いを誘いながら、一生懸命に口説いてくれる。
優秀な通訳だった。強面(こわもて)の女性職員の表情も緩み、仕方ないわねといった風情で、撮影許可をくれたばかりか案内役も引き受けてくれた。
「今まで故郷にこうした美術館がなかったことが不思議ですね」と職員に質問すると「マラガはフランコ政権寄りだったからよ」と説明してくれる。
ピカソは1954年に「トラック2台分」の作品をマラガに寄贈しようとしたが、そうした政治的な要因もあって拒否されたという。
ピカソの作品は、故郷を去ってから、ほぼ100年ぶりに帰ってきたのであった。
16世紀の宮殿を改装した美術館には、絵画、彫刻、陶器など約150点を常設展示する。ピカソの息子ポール氏の妻クリスチーヌさんらから寄贈された作品がコレクションの核となっている。
「私たちが最も重要だと考えているのが、この作品です」
職員がその絵の前に導いてくれる。それは妻であったオルガ・コクローヴァを描いたものだった。
その絵を一目見て、ぞっとしてしまった。
【写真】ピカソの親族が寄贈した貴重な作品をゆったり展示している(マラガのピカソ美術館)