
空の青さは増し、輪郭のくっきりとした雲が浮かぶ。いくぶん過剰な日差しであって、その風景を露出が過ぎた写真のように白々と照射する。マラガ空港は、まるで高知空港に降り立ったときのような気分にさせて、私を迎えてくれた。
ここはアンダルシアだ。
強烈な太陽、広大なヒマワリ畑、闘牛の熱狂、情熱的なギターと踊りによるフラメンコ、そしてイスラム文化の影響が残るアラブの薫り――。
ピカソは、ここスペイン南部・アンダルシア地方の都市マラガで1881年に生まれ、10歳のころまでを過ごした。
この陽光の中にピカソの幼少はあったのだ。
生誕地の気候風土が、その芸術に強い影響を与えるという単純な見方はしたくないが、ピカソが描いたいくつかの作品の色彩が身近なものになっていくような気がした。
私はうれしくなった。
首都マドリードでは、やはり緊張も強いられた。帰国後には、プラド美術館の最寄駅などで列車爆破テロがあったが、それ以前も治安の悪さから、観光客が訪れる要所にはパトカーが常駐していた。不穏な気配も濃厚だった。そうした緊張感から解き放たれたことも私の気分を楽にした。
ピカソの生家は、マラガの中心街地にあるラ・メルセド広場に面した場所にあった。画家の息子として生まれ、早熟の才を示した。
後年、ピカソは子供たちの素朴で純真な素描展を見にいったときに「私が子供のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれども、あの子供たちのように描けるようになるには一生かかった」と話したという。
幼年のピカソが初めて覚えた言葉は「ラピス(鉛筆)」を意味する「ピス」という単語だった。母親から鉛筆を与えられると、何時間も座ったままで、幸せそうにぐるぐると螺旋(らせん)模様を描いていたという。
「彼の最初の作品は、ラ・メルセド広場の子供たちの遊び場の砂の上にいくつも描かれては消えていったのである」(ローランド・ペンローズ「ピカソ―その生涯と作品」)
そのエピソードが印象に残っていた。私はその広場にいて、あるはずもないピカソの螺旋模様を探してみた。
【写真】スペイン南部の都市・マラガ。ピカソはこの地で生まれ、幼少期を過ごした