
マドリードという首都で、ピカソは長い時間を過ごしてはいない。
16歳のとき、ゴヤも通ったという国立サン・フェルナンド美術アカデミーに入学したが、1年もたたずに退学してしまう。
「いったいどうして、私はアカデミーになど行かねばならなかったのだろう」。後年、ピカソは友人に語ったという。
ピカソを魅了したのはアカデミーの教室で習うことよりも、スペインが誇るプラド美術館の収蔵品そのものであったようだ。
私がプラド美術館を訪れたときは、大規模な「マネ展」を開催中だったが、常設の作品を見て回るだけで午後の遅い時間となってしまった。
エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤ……スペイン絵画の巨匠たちの作品に圧倒された。
特にピカソはエル・グレコを敬愛していた。「青の時代」と呼ばれる一連の作品には、その色彩や構図に、グレコ絵画の面影のようなものを感じとれる。
カフェのカウンターでコーヒーを飲んでいると、美術館の職員と隣り合わせになった。ピカソの取材でスペインに来ているが彼の絵画をどう思うか、と話し掛ける。
「ピカソはすごいよ。僕たちのボスであったこともある。もちろん会ったことはないけど」と笑う。
ピカソは1936年、プラド美術館長に任命された。それは多分に政治的な思惑からであったものの、伝統絵画に対する挑戦を続けてきたピカソが、その牙城のような美術館のボスになったのは愉快なことだ。
「マネ展」を見て、プラドを出る。もう夕暮れだった。ほぼ1日を過ごしてしまった。あてもなくマドリードの街を歩いた。
美術アカデミーに入学したことは、画家としての将来を約束されたことに等しかったが、ピカソは授業をさぼり、自由を満喫した。故郷の叔父はそのことに怒り、送金をやめた。
そうした貧困の中にあっても、旺盛な生命力で生きるボヘミアンたちとの生活をピカソは楽しんだという。
深夜になってもマドリードの街のにぎわいは続いていた。
【写真】ピカソが館長を務めたこともあるプラド美術館(スペイン・マドリード)