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第1部 スペイン
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1.怒りの冷凍「ゲルニカ」
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「ゲルニカ」の前で立ち尽くしていた。
そのほとんどモノクロームのような色彩が、人間のすさまじい暴力や狂気を永久冷凍してしまったかのようだった。
もはやそこには血のにおいすら感じない。乾き切った絶望と不条理があった。
ピカソは、故国を襲った近代戦への恐怖と怒りを「ゲルニカ」という絵画にフリージングしたのだ――そんなふうに思った。
ピカソについて一体何を書けばいいのか。
スペインへの出発前夜となっても、それはぼんやりとしたものだった。その足跡をたどるべく、スペイン、フランスの各都市を回る旅程は立てた。けれど、それで何が分かるのだろう。
ただ「ゲルニカ」から取材を始める。それだけは思っていた。この名画を前にすれば、ピカソについて何か書くことの糸口を見つけることができるかもしれない、と。
もちろん4月から高知県立美術館で開かれるピカソ展に、門外不出の国宝でもある「ゲルニカ」が出品されようはずもない。それでも、まず見て感じたかった。
マドリードの街のあちこちで、プラド美術館での「マネ展」を告げるポスターを目にする。そのプラド美術館近くに、ピカソの「ゲルニカ」を所蔵する国立ソフィア王妃芸術センターがある。
1937年。スペインのゲルニカという町にドイツの航空機が爆撃を行い、広場へと逃げる住民に向けて機銃掃射をした。町は壊滅状態となった。爆撃はスペインの独裁者フランコの要請によるものだった。
ピカソは怒った。怒りは絵画「ゲルニカ」の制作に注がれた。
古い病院を改装したというソフィア王妃芸術センターのエントランスを抜けると、館内表示板に「2F―6 GUERNICA PICASSO」とある。「13世紀から20世紀までのスペイン絵画」「シュールレアリスム」といった分類の中で、「ゲルニカ」だけがその単独の絵画名で記されている。
まっすぐ「ゲルニカ」に向かった。
スペインまで来て何も感じなかったらどうしようかな、そんな思いはすぐに消し飛んだ。それは圧倒的な絵画だった。
冒頭に書いたように、ピカソの怒りが冷凍されたような絵だと思った。怒りは、その感情のみに任せた絵筆の運びではなく、綿密に計算された上で閉じ込められていた。印刷では感じ得なかった、冷え切った恐怖がじかに伝わってきた。
ピカソがいかに綿密にこの絵画の構成を考えたのか。「ゲルニカ」の周囲には、全体の構図、母親と死んだ子、泣く顔、馬、それぞれのおびただしいスケッチも展示されている。
ピカソの伝記を書いたローランド・ペンローズは予言した。これは一つの「普遍的悲劇」であって「ゲルニカの力強さはさらに増大するであろう」。
世紀が変わっても「悲劇」は続いている。だから今も変わらず人間は「ゲルニカ」の前で立ち尽くしてしまう。
(学芸部・竹内 一)
◇………………◇
日本初公開の作品群による「ピカソ展―幻のジャクリーヌコレクション」が4月10日から5月23日まで県立美術館で開かれます。高知新聞創刊100周年、RKC高知放送開局50周年、県立美術館開館10周年の記念行事です。
(平成16年3月15日付夕刊掲載)
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