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「競馬場は難しい問題が多いき、頼むぜよ」
昭和59年、県監査委員事務局次長だった男性(73)は、中内力知事に知事室で言われた言葉を思い出す。
地方競馬の経営の難しさ、複雑さは、競馬組合事務局長として出向後間もなく実感した。
「とにかく、関係する団体が多いんです」
特に苦慮したのは、競馬場で馬券を販売する従事員らで構成する高知競輪競馬労働組合との交渉。一人ひとりは親切で仕事はまじめだが、団体交渉の激しさには戸惑った、という。
「まあ、ありとあらゆることを、5、6人の職員を相手に深夜まで50人くらいで口々に詰める。徹夜もたびたびでした」
当時、従事員は約550人。午前10時―午後5時の勤務で日給9780円。「労働条件は格段に良い」というのが一般的見方だったが、ひとたび待遇を改定しようとすると、夜通しの交渉が待っていた。
「女性たちが『終電がないなった、おまんのせいじゃ』と怒るので、こちらも『残ってくれと言ったわけじゃない』と言ってしまった。すると、『みなさん、競馬組合の局長がいまー』とマイクでやられる。交渉自体を楽しんでいるような、そんな感じを受けたくらいです」
県競馬組合議会は59年、賃金10%カットの予算案を可決。従事員組合の反発は強く、同年4月当初の競馬開催は中止に追い込まれた。
「削減に反対して、給料を受け取ってくれない時期もあった。4カ月くらい、こっちが給料を預かっていました」
翌年、新競馬場に移転後も運動は続く。賃金の10%削減については地方労働委員会で交渉決裂後、労組側が賃金カット分の支払いを求めて高知地裁に提訴。その後、「10%を5%に引き戻す」案で和解した。
「最終的にはこちら側が譲歩するか、折れる。ほかの交渉でもそうでした」
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元職員の男性は、もう一点、競馬経営の特殊さを明かす。労働組合と歩調を合わせる格好で活動してきた同和団体の存在だ。
競馬場の警備は、同和2団体に随意契約で請け負わせていた。元職員が着任した59年、既にその契約内容は「変えようのない、確固たるもの」だったという。
「もちろん労働運動も人権運動も大切な取り組みです。ただ問題は、経営陣が譲歩を繰り返し、競馬場が競馬ではなく、雇用と『同和対策』の場に変わっていったことなんです」
南国市の農家の生まれで子どものころは乗馬をして育ったこの元職員は「言い換えれば、行政はあえてそうした対策を競馬場に押し付けてきた」と強調する。
「本来は別途に取り組まねばならない課題を、競馬場に放り投げた。むごかったのは運営する競馬組合と雇用関係もなく、運動団体も持たない、ただ純粋に馬を走らせるだけの騎手や厩務(きゅうむ)員でした」
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資料をめくる。従事員の日給は5%カットの和解後に再び上昇に転じ、離職せん別金(退職金)を含む従事員人件費は平成5年度がピーク(計8億8600万円、529人分)。一方、同和団体への警備・清掃の発注額もピーク時の10年度に年間1億円を超え、随意契約方式は14年度まで続く。
団体との「確固たる関係」が連綿と続いていたことが垣間見える。
【写真】嵐の中の攻め馬(高知競馬場)
(平成16年6月28日付夕刊掲載)
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