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昭和50年、県と高知市は新競馬場の造成と建設の準備に入る。ところが、ここで問題が生じた。当時、県総務部長だった大町行治さん(82)が話を続ける。
「起債をおこそうとしたが、自治省に認められなかったんです」
「起債」というのは、自治体が事業をするために金融機関から受ける長期の借金。県はこの借金をするために自治省(現総務省)に申請を出したが、答えはノーだった。
「ギャンブル事業に対する起債が基本的に認められなかった点が一つ。それに競輪と競馬が競合する高知市では経営難が見込まれると、国に指摘されました」
当時の和食延雄・県農林水産部長(後の副知事)に「いい知恵はないか」と頼られた大町さんは、一計を案じてアドバイスした。
「仕方ない、『闇』でやるか、と」
県と市は競馬場の造成と建設を行わせる「財団法人県競馬施設公社」を立ち上げる。そうすることで、県市の代わりに公社が金融機関から借金をすることができた。
いわば、資金を得るための“トンネル組織”。充て職で置いた理事長が県副知事、副理事長は高知市の助役。公社自体には担保も財産もないが、実体は行政そのものだから、金融機関は貸し出しに応じた。
施設公社の借り入れは当初、県議会にも報告されていなかったらしい。昭和53年7月、栗生茂也県議は県議会で「(公社の借り入れを)知らなかった」と激怒。充て職ばかりで構成した施設公社の運営の異常ぶりをただしている。
〈100億円を超えるこの大工事が議会の承認も審議もなしに行われていいものでありましょうか。考え方によっては知事の隠れみのと思われてもやむを得ない。すでに銀行から1億2050万円を長期借入金として借り入れておるのでございます。私自身、全く知らなかったのです〉(本会議議事録)
昭和55年、施設公社は金融機関4社と借入金の配分などについて覚書を交わす。県知事と高知市長が立会人として署名した。事実上の「債務保証」だった。
大町さんが述懐する。
「もろに、闇。これを闇起債という。今思えば、金融機関のための事業とも言えました」
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「闇起債」「転がし」―。そんな錬金術は昭和30年代からあったと、大町さんは言う。
「盛んに使われだしたのは田中角栄の日本列島改造論のころかな。その前から高知県も災害や過疎対策の予算措置を受け、戦時中のような、いけいけどんどんだった。よく言えば体を張り、後先考えずに突き進んだ」
「攻めの大町、守りの和食」と称された大町さんは県政のけん引役だった。県の総務部長、出納長を経て高知市長選に2度出馬(落選)。その後、南国市長に転じた(後に汚職で逮捕される)。
「私自身が競馬事業にかかわったのは(市長選出馬のため県出納長を辞めた)56年までだが、今振り返ると、(競馬の建設事業は)30年代的手法でやっているね」
競馬施設公社はその後、「トンネル組織」としての本領を発揮していく。
【写真】夜明け前の攻め馬(高知競馬場)
(平成16年6月25日付夕刊掲載)
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