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初老の男たちが港から海を眺めていた。風と雲を体で感じ、明日の波模様を予想する。「こりゃ時化(しけ)るな」。南洋でマグロを獲(と)っていたころの習慣で、引退して船を下りても、ついつい予想を続けてしまう。
そこに声が掛かった。「ひょっと、昔、ビキニの方へ漁に行ったことはありませんか」
声を掛けたのは県ビキニ水爆実験被災調査団。1986(昭和61)年のことだった。
それまで、ビキニ事件は「そっとしておいてほしい」という関係者の思いもあって、真相究明が進んでいなかった。しかし、調査団は先に紹介した室戸市の元マグロ船船長、崎山秀雄さんらの協力を得て、少しずつ証言を掘り起こす。
平日の夜や週末ごとに幡多や室戸に飛んだ。汚染マグロを捨てた船のリストや船員名簿を頼りに関係者を訪ね歩いた。被ばく船の航跡や当時の状況が徐々に浮かび上がってきた。そして―。
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「ビキニから帰ってしばらくして、毛が抜けだして、体もしんどうなって。それから入退院の繰り返しよ」
「毎年5月ごろになると血を吐く。医者も原因不明じゃ、と」
元船員たちは、口々に健康不安を訴えた。
崎山さんが船長だったビキニ被ばく船、第二幸成丸も当然、調査団の聞き取り対象だった。しかし、漁労長の男性は調査団が訪ねる前年の85年6月、直腸癌(がん)で急死していた。67歳だった。調査には息子さんが応じてくれた。
「おやじはマグロ船を下りてから、『体がしんどい。疲れる』と言ってました。まさか癌で死ぬとは…。私が中学生のころ、『わしはビキニで死の灰(放射性降下物)を浴びちょるんじゃ』と聞いたことがあるので、その影響では」
誰もが少なからず、あの「灰滅(かいめつ)の海」とのかかわりを気にしていた。
87年2月。調査団は高知市でシンポジウムを開き、約1年半かけて追跡した船員の健康実態を報告した。
消息が判明した本県の漁船員187人のうち40人が病死。その約2割が40―60代の「若い死」だった。被ばく者がなりやすい癌、心臓まひ、白血病で亡くなった人は24人もいた。
「ビキニで何があったか、船員の体は正直に訴えている」。調査団はそう感じていた。
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それから16年後の昨秋、活動を休止していた調査団は再び健康調査に乗り出した。が、10月の再結成会は、無念の報告から始まった。
「前回調査で被ばく者をまとめてくれた中心人物がその後、相次いで亡くなってます」。元高校教師で副団長の山下正寿さん(59)=宿毛市=が名前を挙げながら、指を折っていった。
その中の1人に、崎山さんも含まれていた。88年4月、体調を崩して病院に行き、問診の医師の前で心臓発作を起こして息絶えた。63歳。「山兄(やまにぃ)」「秀兄」と慕われた、屈強な海の男の「若い死」だった。
「ひょっとしてほかにも多くの被ばく者が、もう、亡くなっているんじゃないか…」
調査団の予感は的中する。再調査は、前回にも増して多くの「死」をたどることになった。
【写真】1987年、高知市で開かれた「ビキニ水爆実験被災シンポジウム・高知」。県調査団は元船員の健康不安などについて報告した
(2004年3月12日付朝刊掲載)
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