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穏やかな内海を望む小高い山の上に、再びやって来た。宿毛市小筑紫町内外ノ浦。長崎、そしてビキニと「二重の核の恐怖」を味わった末、1960(昭和35)年8月、27歳で自殺した藤井節弥さんがここに眠っている。
この連載を書き始めるにあたり、確かめておきたいことがあった。
「灰滅(かいめつ)」
この言葉は古い辞書で見つけた。「焼きつくす。ほろぼしつくす」という意味だ。「死の灰」で人々の命を奪ったあの海を想起できそうな言葉だと思った。
節弥さんに尋ねた。あなたにとって「灰滅の海」とは何だったのですか―。取材でたどった多くの元船員の墓標の前でも、同じことを問うた。胸の中で今は亡き彼らの声を聞いた。
ただ、その声だけでは十分ではなかった。今を生きる人たちの「証言」をどうしても拾い集めたかった。そうすることでしか、あの海での出来事は歴史に残せない。
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港で網を繕う男たち。夕げの支度へ家路を急ぐ女性たち。ぷーんとした魚のにおい…。高知の海辺の町を訪ね歩いた。心優しい海の人たちは、突然の取材にも丁寧に応じてくれた。
ただ、あの海の話になると複雑な顔をする人が少なからずいた。
「その話は、しとうないがじゃ」
「よそで聞いてくれ」
「…」
同じ船の元船員同士でさえ、時にまったく違う話をし、まったく違う表情を見せた。
元船員だけでなく、遺族たちも複雑な反応を見せた。「話したくない」。わずかな翳(かげ)りの中にビキニ事件の重さ、被ばくの悲しみを感じた。
神奈川県横須賀市にいる節弥さんの姉、山下清子さん(79)を訪ねた時も、しみじみと言われた。
「節弥のことを話すのは嫌だったんです」
当然だろう。しかし、静寂を破って清子さんは言葉を継いだ。
「でも…今は話さなきゃって思ってます。一人でも多くの人に、伝えないといけないんじゃないかって」
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現在、核保有国は8カ国。中でもアメリカとロシアは、実戦用の小型核の開発に踏み切ろうとしている。先月には、リビアがプルトニウム抽出に成功していたことが判明した。核はこの地球に確実に拡散している。
広島、長崎、そしてビキニ。日本は三度も核の悲劇を味わわされた。節弥さんとともに長崎で悲劇に巻き込まれた清子さんは、こんな話もした。
「藤井家の墓は横須賀に持って来ようと思ったの。でもね、平和を願い、核のない世界を願う(幡多高校生ゼミナールなどの)高校生たちが訪ねて来てくれる。だから宿毛に残してやりたいと思ったんですよ」
取材ノートをあらためてめくる。
「ビキニ被ばく者は何の命の保障も受けていない」「事件を風化させちゃいかん」
「私が見たあの火の玉は、核は、もういらないです」
多くの人に伝えたい、「灰滅の海から」のメッセージである。
【写真】ビキニで被ばくした元船員の墓に手を合わせる幡多高校生ゼミナールの生徒ら。核拡散の時代。あらためて「灰滅の海」のことを考え、伝えてほしいと思う(宿毛市内)
(社会部・塚地和久) =おわり=
(2004年3月18日付朝刊掲載)
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