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第10回移動高知新聞
ふれあい高新IN須崎

須崎こども新聞   10月31日朝刊

 30日に開幕した「第10回移動高知新聞 ふれあい高新in須崎」企画、「須崎こども新聞」も今回が最終回。アンカーは安和小、新荘小、朝ケ丘中、明徳中の4校と、「私たちの主張」の須崎中です。地元の名産の竹のお話や、神社の伝説など、地元住民からも「勉強になりました」といった声が聞こえてきそうな記事が盛りだくさん。取材活動を通して、子どもたちが地域を見つめ直した「須崎こども新聞」を締めくくります。

虎斑竹の魅力実感 自然のもの大切に使おう 安和中

山岸さんに虎斑竹についてお話を聞きました(須崎市安和)  虎斑竹(とらふだけ)は淡竹(はちく)の一種で、名前の由来は、竹についている虎のような模様からくるそうです。私たちは虎斑竹を見て、「この竹にぴったりの名前だ」と思いました。虎斑竹を切り出しているのは、全国でも安和だけだそうです。なぜ安和にたくさんはえているのかはっきりわからないそうですが、土の中の細菌が関係しているようです。ほかにも日当たりや潮風も関係しているようです。安和地区は、虎斑竹が育つための条件をそろえているので、虎斑竹に最適な場所なんだなあと思いました。虎斑竹を扱っている山岸龍二さんにお話を聞かせてもらいました。

 山岸さんの会社は、虎斑竹の仕事を始めて108年になるそうです。最初は大阪で仕事をしていたけれど、戦後虎斑竹のある安和に来られたそうです。

 山岸さんに竹をバーナーであぶり出す作業を見せてもらいました。あぶる前の竹は色が青緑っぽくふつうの竹のようですが、だんろのような所に入れてあぶり、布でふくとつるつるしたとてもきれいな虎模様の竹になっていました。

 竹を曲げる時は、あぶってやわらかくしてからします。作業場には、みがかれた虎斑竹をたくさん立てかけていました。長い物は4メートル50センチもあるそうです。となりのお店では、いろいろな竹製品が販売されています。

 山岸さんは、「今は、プラスチックなどが増えて竹を使うことが少なくなったので、もっともっと竹を使って、竹の良さを知ってほしい」と言っていました。

 私たちの学校では、運動会で竹だいこの「まつり」を伝統的にやっています。全校児童だけでなく、卒業した先輩も一緒にたたくので盛り上がります。これからも続けていきたいと思います。そして、生活の中に竹のおはしや置物などを取り入れて、自然の物を大切にしていきたいし、竹の良さを知りたいです。

 虎斑竹は、山の手入れをしないと虎の模様がつかなくなるそうです。安和の虎斑竹を守っていくためには、たくさんの人に虎斑竹の良さを知ってもらい、使ってもらいたいと思いました。  

(出間弘人、川田哲也、野島萌、溝渕三記、横田朝子記者)

 【写真】山岸さんに虎斑竹についてお話を聞きました(須崎市安和)

鳴無神社伝説に迫る 大漁旗パレード今も 明徳中

鳴無神社の志那祢大祭の漁船パレード。大漁旗が潮風になびきます(須崎市の浦ノ内湾)  鳴無(おとなし)神社の神主である森田さんが子どものころの話―。森田さんが遊びに夢中になっていると、急に激しい腹痛に襲われ、やっとの思いで家に帰った。驚いた母親がどこで遊んでいたのかと尋ねた。「御船山だ」と答えると、母親は納得したように、「あそこで遊んだらいかん」と言ったそうだ。そこは“入らずの森”と言われ、人が立ち入ってはならない場所とされていたのだ。

 今から約1500年前、京都の葛城山を出られた一言主神が金剛丸に乗り、太平洋を渡って浦ノ内の神崎に上陸した。お竃(かま)ケはえという大きな岩で海水を煮て食物を調理するその煙を発見した村人が、不思議に思って行ってみると一言主神だったので、御船ごと担いで鳴無の地までお迎えした。宮殿を建て神をおまつりし、そのみ霊を鎮めている場所が、その御船山だったのだ。

 ところで、一宮の土佐神社が鳴無神社と同じ祭神なのは、土佐神社が鳴無神社の別れ宮だからである。一言主神が石を取り、「この石の落ちるところに宮を建てよ」と、投げて落ちた所が今の土佐神社なのである。

 759年に始まった鳴無神社の御船遊びには、土佐神社からも浦戸湾を渡って御神幸になり、浦ノ内湾いっぱいのにぎやかな御船遊びとなった。その様子は京の都にまで伝わり、藤原定隆は「土佐の海に御船うかべて遊ぶらし都のそらは雪解のどけき」と詠んだ。

 全国にも名高くなった御船遊びだが、1195年、土佐神社への帰路、嵐に遭った氏子たちは、日も暮れた中、神輿(みこし)を担いで磯伝いに帰る途中、オオカミに襲われた。松明(たいまつ)の火で追い払い、命からがら一宮までたどり着いたのだが、それ以来、鳴無への御神幸は中止となり、五台山のふもとに御旅所を建て、土佐神社の志那祢(しなね)祭はそこまでの御神幸となった。

 しかし、鳴無神社の志那祢大祭(8月25日)には、大漁旗を飾った漁船によるパレードが、今でも毎年行われている。  

(畔地正大、伊賀靖高記者)

 【写真】鳴無神社の志那祢大祭の漁船パレード。大漁旗が潮風になびきます(須崎市の浦ノ内湾)

雨の中懸命の演奏 吾桑、多ノ郷祭りに参加 朝ケ丘中

吾桑祭りで自慢の演奏を響かせる朝ケ丘中の吹奏学部員(吾桑小)  朝ケ丘中学校の吹奏楽部は、8月9日に吾桑小学校のグラウンドで行われた吾桑祭りと、8月16日に西崎公園で行われた多ノ郷祭りに参加しました。演奏した曲は「渡る世間に鬼ばかり」「演歌メドレー」「地上の星」「きのこの歌」の4曲。金魚すくいやかき氷などのお店が出ていて、盆踊りやクイズ大会なども催され、とても楽しい雰囲気でした。

 梅原一市長さんは「毎年、須崎祭りや盆踊り大会などを楽しみにしています。みんなで一緒にやれることが楽しいですね」と話されていました。

 吾桑小の西村正文校長先生は「地域の方々が喜ぶ、よく知られた曲ばかりで、感動しました。人気のある曲を演奏してくれましたね」と話されていました。

 吾桑公民館の堀内昭佑館長さんは「吾桑祭りは、ここ2―3年雨だったので、晴れてよかったです。今年は、店の人たちも、一緒に楽しんでくれている」と、話してくださいました。

 私は、吾桑祭りには初めて行ったのですが、すぐに、お祭りに溶け込めるほど、地域の方々が温かかったです。

 一方、多ノ郷祭りは、あいにくの激しい雨となり、吹奏楽部の演奏も、中止になるかと思われました。しかし、この日のために練習してきたし、地域の方々も見ていてくれるのだからということで、演奏することになりました。

 吹奏楽部は雨の中、一生懸命演奏しました。その演奏は心に残るものがあり、とても私たちを感動させてくれました。地域の方々はテントを張ってくださったり、楽器の準備、片付けなどに協力してくださったりしました。演奏が終わると、タオルを貸していただき、惜しみない拍手をくださいました。本当にありがとうございました。

 私は祭りの手伝いをして、地域の方々の優しさに触れることができたことがとてもうれしかったです。朝ケ丘中学校の行事などを考えても、地域の方々の協力がないと、絶対に成功できないこともたくさんあります。地域の方々とのつながりを大切にできる、すばらしい朝ケ丘中学校を目指していこうと思います。  

(畠中清加記者)

 【写真】吾桑祭りで自慢の演奏を響かせる朝ケ丘中の吹奏学部員(吾桑小)

あまくておいしいコメ 新荘小

稲かりに汗を流す子どもたち(須崎市下分甲)  新荘小学校では毎年、5年生が中心となって地域の方と、全校児童でコメづくりをしています。

 今年は5月1日に田植えをしました。夏の台風にも負けず、元気な稲が育ちました。

 いよいよ9月19日の稲かりの日です。1年生ははじめての稲かり。かまを上手に使えるかドキドキしていましたが、おじいさんたちに習って、とても楽しそうにかっていました。

 次はせんばこきに稲を入れてひっぱります。コメがいっしゅんにしてなくなりました。足ふみだっこく機は足が疲れるけど、おもしろくて何回もやりました。

 おコメを少し食べました。あまくておいしかったです。やっぱり新荘小のおコメが一番です。  

(笹岡千愛、笹岡里穂、谷岡翔平、横山沙也加、浜実菜弥、
高橋裕美記者)

 【写真】稲かりに汗を流す子どもたち(須崎市下分甲)

私たちの主張

須崎の良さ再発見を

 僕たちの須崎市は、高速道路の整備が進められ、交通の便がとてもよくなりました。国道だけしかなかった時には渋滞続きで、高知市から須崎市まで2時間近くかかっていたそうです。

 おかげで県内各地をはじめ、県外からも観光客が須崎市に手軽に訪れることができるようになりました。鍋焼きラーメンは全国に発信され、注目も集めています。着実に「須崎」の名前は、須崎市の外へと広がっています。

 ところが、現在の須崎市の人口は年々減少しています。僕たちの学校で考えてみても、わずか数年間で100人以上の生徒が減少しているのです。これは本当に寂しいことです。その原因として、人々が都会を目指し須崎市を離れていくという現象があげられます。つまり、便利な生活を求めて故郷を出ていくということです。僕たちはこのことを少し考えてみました。

 確かに須崎市には近代的な建物はありません。けれどお金では買えない自然があふれています。例えば、かつてカワウソが発見された新荘川、雪割り桜の咲き乱れる桑田山など、1年を通して目を楽しませ、心を落ち着かせてくれます。“灯台下暗し”という言葉もあります。須崎市に今、住んでいる人たちが一番身近な須崎市の良さを忘れているということです。

 僕たちがあらためて須崎市を見渡してみると、都会には負けない素晴らしさに気付くのではないでしょうか。そして須崎市を離れた人たちにも、いつか豊かな自然やおいしい食べ物、温かな人々といった須崎市の良さを再発見してほしいと思います。

 そのために僕たちは“ふるさと須崎”の良いところを大切に守っていきたいと思います。そして誇りに思いたいと思います。たくさんの人であふれ、いつまでも活気のある須崎市であってほしいと願っています。

 市長さん、僕たちが大人になった時のために、働く場所をたくさん用意しておいてください。  

(須崎中記者一同)


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