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昭和60年7月、名古屋競馬の天才騎手を乗せて事故を起こしたハイセイヒメ…。
この馬の厩務(きゅうむ)員を務めていたのが本山喜久さん。トクさん=徳留康豊さん(43)=の無二の親友だった。
トクさんの2歳下。同じ宮崎県都城市生まれで、育った境遇も似ていた。
幼いころに両親と死別した。兄妹が3人いたらしいが離ればなれで、顔も覚えていなかった。親類の家を転々とした後、中学校を卒業して、トクさんと同じ名古屋の厩舎にやってきた。
2人ともほとんど身寄りがいなかったし、気が合った。いつも一緒だった。
「めちゃ優しい男やった。親友というより、兄弟やなあ。おーい、モト公、行くぜーって」
馬が好きで好きで、腕は確かだった。じっくり攻め馬で鍛え、ヒップに顔が映るような、ぴかぴかの馬体で仕上げてきた。
「手応えがいいときは『勝てるよトクさん。馬の雰囲気が違うもん』とか言うがっちゃ。『かっこよく決めてよ!』って」
一緒に走る気分だった。
「あいつは目が悪くてね、騎手試験に合格できなかった。それで、『トクさん代わりに走ってよ、勝ってよ』って。あいつの馬は走った。2人で重賞を幾つも取った」
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2人でハイセイヒメを見ながら話したのは、事故の3日前。実戦形式の併せ馬のさなかだった。
「本山よお、お前が乗っとる馬よお、夏負けかあ?」
「うん。息遣いおかしい。ぜーぜーいってるし。内臓も悪いみたい。駄目や」
3日後のレースで、ハイセイヒメは息絶えた。坂本敏美さん(51)の上に倒れかかって…。天才騎手は一命を取り留めたが、首から下が利かない体になった。
悪夢だった。
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事故があってしばらく後、徳留さんは坂本さんの入院先を見舞った。涙が出るのが怖くて、拳を握りしめた。馬の具合が悪かったこと、本当は乗ってほしくなかったこと、本山さんの話など、できるはずもなかった。坂本さんは「弟分」のトクさんに、寂しそうに小さく言った。
「救急車で運ばれる途中、おれ、一度心臓が止まったんだって。もう馬に乗れないなら、そのままの方がよかった」
事故の後、競馬場は雰囲気が変わった。騎手たちは黙って返し馬をして、黙ってゲートに馬を入れた。一言も話さなかった。
「なんて恐ろしい仕事してるのかって。あらためて怖くなって」
こみ上げ、抑えられない恐怖だった。
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事故直後から、本山さんは人が変わった。
頭髪をそった。浴びるように酒を飲むようになって、無口な男になった。酒にのまれていった。
1年後の夏、トクさんは高知競馬に流れた。その半年後、本山さんもトクさんを追って移ってきた。
【写真】脚先を見てバンテージを巻く。優れた厩務員ほど脚の管理がうまい。写真はエイシンドーサンの厩務員、桑名政男さん(2月、佐賀競馬場)
(平成15年3月15日付夕刊掲載)
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