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昭和60年7月19日、名古屋競馬場の第8レースだった。
トクさん=徳留康豊さん(43)=は当時25歳。装あん所のモニターテレビでレースを見ていた。嫌な「予感」はあった。
直線手前の第4コーナー。後方にいた1頭が直線の手前で、突然、異変を起こした。4本足がばらばらになるような動きになり、勢いづいたまま内側のフェンスに激しくぶつかって、再び外側にはじかれた。
乗っていた坂本敏美騎手は馬の右側に飛び降りた。なぜ坂本騎手が右側に飛んだのか、トクさんには今でも分からない。
「坂本さんは常人の感覚とは違う人だったから。僕らはこんなとき、左側に飛ぶんよ。馬に乗り下りする習慣もあってね」
馬は揺れながら右側に倒れ込んできた。走行中の心臓まひだった。
「坂本さんがあ!!」
足がすくんだ。尋常な倒れ方、落ち方ではなかった。トクさんはレース場に飛び込んで長い砂の直線を逆走した。「あこがれの名手」は倒れたまま、小刻みに体を震わせていた。首の骨を折っていた。
坂本さんは昭和50年代の名古屋競馬で、驚異的な勝率でトップを張った花形騎手だった。33歳だったその年の連対率(1着か2着に入る確率)は実に6割9分。「神様、仏様、坂本さま」と称された。
「うまかったでえ。テクが違う。けたが違う。的確というより、奇想天外なんよ。天才騎手といわれたけど、鬼才やね」
あるレース、「トク、ついてこいよ」と促されて追っていくと、目をむくような「芸」をした。
「前の馬の後ろ足と、自分の馬の前足が絡まないようにぎりぎりのタイミング計ってね、さっと横にずらして抜いたのよ。神業。あんまりすごいんでまねしたら、馬の脚が絡まって馬から落ちたね。稲妻のように落ちたね」
馬群に包まれても、たいていの馬込みはこじ開けた。がちっと耐えて、進む道を探し、一瞬で飛び出した。どこからでも割って出た。
「たたき合いになると計ったみたいにハナ差勝ち。何歩でゴール板か、感覚で知ってんだよ」
坂本さんが乗った後の馬に乗ると、不思議と好成績を収めた。大した馬でもないのに勝ったりした。
「坂本さんが乗ると化けるんだ。馬がレースを覚えてしまうがやろね。馬にも優しかったあ」
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事故に遭う日の朝、トクさんはかすかな胸騒ぎがして、坂本さんに話しかけたのを覚えている。
「兄貴、なんであんな具合の悪そうな馬乗るんすか。乗らなくたっていいじゃないすか」
坂本さんは答えた。
「おれも娘が生まれたしさ、たまには気分を変えようと思ってさ」
「ハイセイヒメ」という馬だった…。
【写真】昭和60年、名古屋競馬の坂本騎手は直線手前のコーナーで飛び降りた…。写真は佐賀競馬場(2月)
(平成15年3月14日付夕刊掲載)
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