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「馬が好きじゃもん。中津が廃止されたから、これでもう威張って馬券を買いに来とると。(佐賀県の)佐賀競馬、(熊本県の)荒尾競馬を応援せにゃ」
大分県中津市の場外馬券売り場にいたのは中津競馬の元厩務(きゅうむ)員、奥吉秋さん(45)だった。奥さんは、中津競馬の廃止直後に結成された大分県厩務員労働組合の委員長を務めていた。
「市長が廃止を決めると、県議会と市議会の議員でつくる競馬議会もそのまま廃止方針を通してしまったんよ。(平成13年の)3月にいきなり廃止されると、6月には厩舎団地の明け渡し通知。『さあ、ここから出て行け。ここは中津市の土地だ』と。あんまりよ…」
益田競馬と同様、中津競馬も中津市の単独運営だった。小規模ながら、関係者は騎手、調教師、厩務員だけで約110人。装蹄(そうてい)師や獣医師らも含めると、約220人いた。
「中津の廃止は突然なんやけん。過去に廃止された紀三井寺(和歌山)も検討に検討が重ねられた。それなら納得もいく。でも、中津の場合は違うけん」
廃止された途端、関係者は失業状態となった。その上、中津市は「競馬関係者とは雇用関係がない」と補償の支払いを拒んだ。混乱の中で300頭近くいた馬の半数は食肉処分にされた。
奥さんたちは県や国に窮状を訴えた。
「でも、県に行っても逃げる一方で。国の農政局にも行ったよ。『何とかしてくれ』って。でも『国には権限がない』と…」
当初は競馬の存続を求めていた運動も、市のかたくなな姿勢にぶつかって補償をめぐる運動に変わっていった。奥さんは組合活動を続けながら、実家の稲作や日雇い工事などで生活をつないだ。
「厩務員には組合があったから、なんとか失業手当も出た。でも調教師、騎手にはそれもなかった。競馬は特殊な仕事。履歴書に騎手学校卒と自動車免許取得しか書けんのじゃもん。若いうちなら拾い手があっても、臨時や日雇いしか仕事はないよ」
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13年7月、交渉のかいあって市が「協力見舞金」の名目で関係者に一定額を支払う方針を決める。
だが、金額面では長く折り合いがつかなかった。騎手会、調教師会、厩務員会など各団体と合意に至ったのは、廃止から1年近くが過ぎた昨年2月。市側が提示した支払総額は約2億3000万円だった。
「そりゃ、一人に渡る金額で言えば満足なもんじゃない。話にならん額だ。でも、これ以上の年月をかけたら、みんなの生活が立たんけん。折り合いつけんことには…。闘ってるときはね、全国の競馬場からカンパをもらってた。高知競馬からももらったよ」
中津競馬の廃止後、関係者は他場への移籍や再就職で九州内外に散り散りになっていった。
一部の馬主は「馬主に協力見舞金を支払う必要はない」とする中津市に納得せず、裁判に主張を持ち込んでいる。
【写真】中津市との交渉を振り返る奥さん(大分県中津市内)
(平成15年2月5日付夕刊掲載)
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