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島根県の益田競馬場には11人の調教師がいた。その一人、岡崎淳耀(じゅんよう)さん(65)は、同競馬の廃止を機に廃業を決めた。
「わしはもう引退じゃね。益田も景気のいいときには賞金もよかったんだがね。収益で学校も4つぐらい建てたんよ。こうなってしまったら、言うても仕方ないがね」
岡崎さんは益田競馬の騎手を務めていた。早く引退し、調教師になったのが昭和43年。「いざなぎ景気」と呼ばれた経済成長の真っただ中だった。
当時は益田競馬も伸び盛り。46年度以降の売り上げ記録を見ると、同年度の6億円台が47年度に10億円台、48年度は20億円台と倍々ゲームで増えている。廃止されるまで、同競馬は益田市の一般会計に8億円余りの収益金を繰り入れていた。
「それがこうなってしまって…。若いもんがむごいわ。騎手から調教師になるつもりのもんがむごい。益田を離れるもんはだいぶおるだろうね。20代から40代の若手ほど離れる」
廃止前に約20頭の馬がいた岡崎さんの厩舎(きゅうしゃ)も、残るは1頭だけ。
「5頭は廃馬になったが、あとはよそで走れることになった。よかったよ。付きっきりで世話をした期待馬は岐阜の笠松。高知には7頭が行った。キアミラウメンはまだやれるよ。落ち着いたら馬を訪ねて各地を回ってみたい。高知には堅田くんもいるから」
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廃止前の益田競馬には騎手不足から他場の騎手3人が助っ人として稼ぎに来ていた。その一人に高知競馬の若手、堅田雅仁さん(20)がいた。岡崎さんは堅田さんの滞在中、厩舎所属の騎手として面倒を見た。
調教師と騎手の関係はいわば師匠と弟子。騎手は所属厩舎で攻め馬などを手伝い、「先生」の指導を受けて騎乗技術を磨く。堅田さんはデビュー3年目。岡崎さんは高知でまだ乗り馬が少なかった彼に騎乗技術を教え込んだ。
「早く乗れるようになってもらいたくてね。上手な返し馬、レース運び、いろいろ教えた。『わしが言う通りに乗ってみい。勝てるようになるけのう』言うて…」
岡崎さんは多くのレースに堅田騎手を乗せた。
「1年半の間に、だんだんいい乗り方をしだしてね。こっちにおる間におおかた60勝したわ」
昨年8月16日、益田競馬最後の日のメーンレースで一着になったのは堅田騎手だった。2000勝達成を目指していたエース騎手、沖野耕二さん(34)に真っ向勝負で競り勝った。
「高知競馬に帰ってすぐのレースも1着になってねえ。『先生、勝ったー』と電話してきたよ。いろいろやかましゅう言うたが、これで自信が付いたんじゃないかな」
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堅田騎手は高知競馬に戻ってから、少しずつ騎乗する回数が増えてきた。ことしが成人式だったが、式の当日もレースで黙々と腕を競っていた。
【写真】人影もなく閑散とする競馬廃止後の厩舎団地。馬はほとんど残っていない(島根県の益田競馬場)
(平成15年1月30日付夕刊掲載)
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