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廃止から1カ月が過ぎた益田競馬場の厩舎(きゅうしゃ)団地入り口に人影が見えた。馬が1頭、トラックに載せられるところだった。ポッコポッコと蹄(ひづめ)の音がして、荷台の扉が閉められた。
「なんとか手放すまいと思ったけど、乗馬用に引き取ってもらうことにしたんだ。こいつも、まだ走れたんだが…」
馬を見送ったのは、同競馬の調教師、藤原孝幸さん(53)。長く厩務員をしていたが、調教師だった父親の後を継ぎ、家族四人で厩舎を営んできた。
古い木造長屋が続く厩舎団地はがらんとしていた。どの厩舎もほとんど馬がいない。廃止後の1カ月で、大半の馬がよその競馬場や乗馬クラブに引き取られていた。引き取り手のなかった馬は「廃馬」になって食肉処分にされた。
「団地には10頭と残ってないだろうね。最後まで馬が残るのはうちだけだ」。11人いた調教師はほとんど廃業していた。他場への移籍を希望しているのは藤原さん一人だった。
「何とか存続をと、みんなで頑張っていたんじゃけどね。年寄りがさじ投げてしもうて…。トントン拍子で話が進んで、どうにもならなかったわ」
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廃止決定のかなり前から、同競馬の調教師会は今後を話し合っていた。
「そのときはまだ声があったんだ。『賞金や手当は相当に低いが、切り詰めよう。もっと切り詰めてもいいから続けよう』と。それが、途中でまとまらんようになってしもうた」
赤字が増えるにつれ、賞金や手当は切り詰められる一方だった。収入の少なさはやがて限界を超えた。年配の調教師を中心に「それならもうやめても」という人が増えていった。
「でも、僕は続けたい。親の代からこの道で、兄弟もほとんど馬関係者。一生やりたい。単に金もうけでやってるわけじゃないから」
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藤原さんの厩舎には5頭の馬が残っていた。移籍先が決まれば連れて行く。
「行った先で馬が稼いでくれんと食べていけんからね。この5頭は、賞金の安い中で黒字になった馬ばかり。7頭のつもりだったが、世話には人手が掛かるから」
藤原さんは益田市競馬事務局を介して受け入れ先の競馬場を探していた。広島県の福山競馬場を希望していたが、色よい返事は来ていなかった。
「高知も行きたい気はあるが、大変なんだってね。厳しいなあ。夜中に目が覚めるんよ。この先が心配になって。でも、情熱があればなんとかなる。人生悪いことばかりじゃないって。いざとなったらどこにでも行くよ。廃止の心配がない所がいいな」
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藤原さんはずーっと、受け入れ先が見つかるのを待っていた。
うれしい知らせが届いたのは今年に入ってから。内定した受け入れ先は石川県の金沢競馬場だった。
5頭の馬を連れ、藤原さんは近く金沢に向かう。
【写真】調教師でただ一人、移籍を希望した藤原さん。近く金沢に移る(島根県の益田競馬場)
(平成15年1月28日付夕刊掲載)
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