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何もなかった。ただの荒れ野が広がっていた。冷たい風がススキを揺らし、重たそうな雲が空を流れていた。
馬頭観音の小さな仏堂が残っていた。吹きさらしの中で、ぼろぼろに壊れていた。その横に胸像が一体。
〈戦後、競馬が経営困窮した折、私財を投じて復興発展に大きく援助をいただきました。ここに1億円売り上げ達成を記念し、功績を讃(たた)え…〉
刻まれた言葉が、空(むな)しく風に吹かれている。
平成14年9月、大分県中津市の旧中津競馬場。競馬場の痕跡は、影も形もなくなっていた。仕事師たちが幾多の勝負を繰り広げたコースも、歓声に沸いたスタンドも、人と馬との暮らしがあった厩舎(きゅうしゃ)団地も、みんな消えていた。
「ことしの春、施設をすべて解体したんです。将来は公園にする計画が進んでいます」
同市の職員が申し訳なさそうに説明する。13年3月の廃止から1年半が過ぎていた。
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全国各地で地方競馬の廃止が相次いでいる。中津競馬の廃止以降、14年1月には県営新潟競馬、8月に島根県の益田競馬…。栃木県では、足利市営競馬と宇都宮市営競馬が撤退した。高知競馬も含め、ほかにも「廃止予備軍」の名前が挙がっている。
日本の近代競馬は1862(文久2)年、横浜で外国人が始めたのが最初とされる。戦前は、農山村を中心に農耕用馬が多く飼われていた。祭りなどがあると、各地で「競(くら)べ馬」「草競馬」が行われた。
戦後になると「競馬法」が施行され、自治体が運営して収益を自らの財政に繰り入れた。競馬の収益で学校や文化施設などが建てられた。
だが近年、不況のあおりでどの競馬場も売り上げが落ち込んでいる。13年度の単年度収支は、26カ所ある全地方競馬が赤字。
「赤字が続けば再建団体に陥りかねない」「どうせギャンブル。行政のお荷物ならいらない」
落ち込みが続く中、自治体の首長たちは連鎖するように次々と廃止を決断し始めている。
しかし、競馬場には多くの人が働いている。騎手、調教師、厩務員、馬主、獣医師、装蹄(そうてい)師、馬券売り場の従事員、事務職員、予想紙発行業者、飼料業者、売店業者…。
どの競馬場も、数百人から1000人規模の雇用効果がある。競馬の廃止は、それら多くの人が生活の糧を失うことを意味している。
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「わしらは馬しか知らん。この仕事に一生をかけてきた。これからどうやって生活すれば…」
「本当にどうにもならなかったのだろうか」
昨年秋、私たちは廃止された幾つかの競馬場を訪ねた。そこには、多くを知らされないまま放り出され、憤りと不安を抱えながら行く当てを探す人々の姿があった。
【写真】荒れ野になっていた中津競馬場跡。馬頭観音の仏堂がぼろぼろに壊れて残っていた(大分県中津市)
(平成15年1月23日付夕刊掲載)
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