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「東洋の魔女」須崎へ 金メダルの陰に市長との約束
30日に須崎市で開幕する「第10回移動高知新聞 ふれあい高新in須崎」で、「東洋の魔女」として昭和39年の東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボールチームの日本代表選手5人を含む往年の名選手が来高する。その橋渡しを務めたのは須崎市長の梅原一さん。当時、東京五輪のバレーボール準備委員会事務局長として奔走し、メンバーからは今も「高知のお父さん」と慕われている。
来高するのは単独チームでは世界一強いといわれた日紡貝塚(当時)の11人で、うち5人が東京五輪メンバー。主将を務めた河西(現姓中村)昌枝さんは、日本バレーボール協会の女子強化委員長として多忙を極め、今回来高できない。
「東洋の魔女」の由来は、東京五輪の3年前の昭和36年、日紡チームの欧州遠征で22戦全勝し、あまりの強さに“魔法使いの娘たち”といわれたのが発端。翌37年、モスクワでの世界選手権で7戦全勝して「東洋の魔女」が世界に広まった。
大松博文監督(故人)の指導の下、回転レシーブや変化球サーブといった新戦法を編み出した。39年の東京五輪ではこうした技で力のソ連に対抗、見事にストレート勝ち。この時のテレビ視聴率は歴代1位を守り続けている。
そんなチームと梅原さんの最初の出会いは、東京五輪の半年ほど前、名古屋市の犬山体育館だった。梅原さんは無理を言って秘密練習を見学。猛練習で有名な大松監督だったが、「彼女たちもなかなかでした。壁際で解けてない靴のひもを解いて結び直したり、上手に息抜きしていた」(梅原さん)。
高知女子大バレーボール部監督も経験した梅原さん。河西主将に「どうして大松さんに、そこまでしてついていくのか」と尋ねた。すると、なぜそんなことを聞くのかといった顔つきで「先生は私たちのためにバレーをやってくれているから」の言葉が返ってきた。
そこで「河西さん、今の言葉忘れなさんな。日本のため、金メダルのためじゃなく、ひたすら大松さんのためにバレーをすると約束してくれ」と頼んだ。それからも、激務の合間に練習をのぞいた梅原さん。「私が行くと鬼の大松さんも多少は手加減するから、選手らには喜ばれました」
迎えた東京五輪決勝。梅原さんは河西主将に声を掛けた。「犬山の約束を忘れんといてよ」
試合はソ連が打ち込むスパイクを、日本の半田百合子選手、松村好子選手らが回転レシーブで次々拾い、河西主将が正確なトスでつなぐ。宮本恵美子選手のクイックもよく決まった。
2―0で迎えた第3セット。日本リードでマッチポイントを迎えたものの、15―13まで追い上げられた。しかし最後は、ソ連のオーバーネットで金メダルが決まった。
試合後、「追い上げられた時はさすがに金メダルがちらついてしまって…」と興奮気味に話す河西主将に、梅原さんはこう答えた。
「もし最初から金メダルが目標だったら、あのセットは逆転されていたよ。だから『犬山の約束を忘れないで』と言ったんだ」
土壇場で彼女たちの邪念を追い払った39年前の約束。今回来高する宮本さんも「確かにミーティングで、『大松監督のために頑張るんだ』とみんなで話したのを覚えています」と証言。「先生にお会いするのは久しぶりなんですよ」と再会を楽しみにしていた。
メンバーによるママさんバレー教室などは11月1日午前10時から、須崎市立スポーツセンターで。見学自由。
来高する11人は次の皆さん。マネジャーの矢口さん以外は日本代表経験者。カッコ内は現姓。
宮本(寺山)恵美子、半田(中島)百合子、松村(神田)好子、松村(千葉)勝美、磯辺(丸山)サタ=以上東京五輪メンバー▽石川(黒沢)嘉枝、水原(伊藤)理枝子、横山(西川)樹理、小川(幸野)かず子、広瀬(中島)美代子、矢口(国分)喜栄子
【写真】「39年前の約束」を懐かしそうに振り返る須崎市長の梅原一さん(須崎市役所)
(2003年10月30日朝刊掲載)
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