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2003年10月30日 夕刊
県内在住の中国残留孤児45人が30日、国の政策で戦後中国に取り残され、帰国後の自立支援も不十分だったとして国を相手に計14億8500万円の損害賠償を求める訴えを高知地裁に起こした。残留孤児による国家賠償訴訟は一昨年から全国で相次ぎ、今回の提訴により7地裁で1300人余りが争うことになる。大阪や北海道でも提訴に向けた準備が進んでおり、原告総数は年内に1500人を超える見通し。戦後半世紀を経て、政府の「棄民政策」の責任を問う動きは全国的な広がりをみせている。
原告は高知市や吾川郡、高岡郡内に住む57―71歳の男性16人、女性29人。請求額は全国のケースと同じで、1人当たり包括的慰謝料3000万円、弁護士費用300万円の計3300万円。
訴えによると、終戦時に政府は孤児の現地定着策を採り、昭和33年の調査では2万2000人余りの孤児が中国に取り残された。34年に引き揚げ作業を終え、1万2000人以上の孤児の「戦時死亡宣告」を行い、戸籍を抹消して身元調査などを放棄した。
47年の日中国交回復後、政府は中国のパスポートで帰国した孤児を外国人として扱い、親族の同意を得なければ帰国できなかった。身元の分からない孤児の受け入れのため身元引受人制度を創設したが居住地を制限するなど、日本人として帰国する人格的な権利を奪った。
さらに政府は孤児らの日本語修得や就職、帰国家族の教育などの政策を立案・実行する義務があるが、自立支援の一時金として47年までは1万円、その後段階的に引き上げ平成12年からは16万400円を支払ったにすぎない。日本語の教育期間も4―8カ月と短く、ほとんどが日本語を習得できていない。政府は「普通の日本人として人間らしく生きる」という当然の権利を侵害した―としている。
残留孤児の帰国事業は日中国交正常化後、9年が経過した昭和56年から集団訪日調査がスタート。調査は平成11年の第30次調査で終了し、翌12年からは対面調査に切り替わった。
厚生労働省によると、9月末までに2468人の孤児、3759人の残留婦人などが日本に永住帰国。県内で暮らす残留孤児は約50人で、呼び寄せた家族らを合わせると約700人が生活している。
この日午前、原告の代表者と原告弁護団は高知市内で記者会見した後、高知地裁に訴状を提出。支援者ら約60人を前に提訴を報告し、「ガンバロー」と誓い合った。
訴えに対し、厚労省中国孤児等対策室は「訴状がまだ届いていないので、今の段階ではコメントできない」としている。
【写真】訴状を出した後、原告と支援者らは訴訟の勝利を誓い合った(高知市丸ノ内1丁目の高知地裁前)
中国残留孤児 日本は昭和7(1932)年、侵略した中国東北部にかいらい国家「満州国」を建設。終戦までに全国から約27―32万人(本県は約6000―1万人)を移民させた。敗戦による混乱で子どもや女性を中心に大勢が取り残され、悲惨な目に遭った。終戦当時、13歳未満だった人を「残留孤児」と呼ぶ。13歳以上は「残留婦人」などと区別され、孤児よりもさらに国の施策が後回しになっている。孤児は平成12―14年度に全国で新たに46人が認定されている。
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