高知新聞
天気追加:
地震情報
花粉予報
中部の天気
東部の天気
西部の天気

高知のニュース
国内・国際ニュース
おすすめトピックス

高知新聞購読申し込み

携帯サイト
iPhone版も登場!
坂本龍馬の部屋

とさあち
いちの土佐
おすすめグルメガイド

ピックアップ
楽しもう英語 English is Fun!!
岩崎四代物語
高知ファイティングドッグス

まんが
きんこん土佐日記web版
単行本7巻発売!
にゅーすけっち

病院・診療所 診療科目ガイド


47CLUB高知繁盛記

ミュージアムマップ
イベント情報

音声ブラウザーご使用の方へ

47clubでお買い物

Google


 
高新写真コンテスト募集
声ひろばなど投稿
記事データのご利用
後援申請の用紙
サイトからのお知らせ


高新住宅総合展示場ライム

土佐いごっそう倶楽部

47news

釣りタイムズ
地球33番地公式サイト

企業情報
高知県内リンク
第9回移動高知新聞
ふれあい高新IN中芸

田野こども新聞

 1日からシリーズで掲載中の「ふれあい高新in中芸」のこども新聞。今回は、田野町の小中学生の登場です。地元の小中学校では、先輩から後輩へと受け継がれるさまざまな伝統もあるようです。田野中は全校生徒総出で地元の茶園での茶摘み。田野小ではまだ3年目ですが、空き缶などの回収作業を展開中です。このほか、生徒が地域の名物おじいちゃんを取材するなど、地域色あふれる紙面が仕上がりました。

受け継ごう!桃山茶園 田野中 毎年摘み取りや草刈り

茶摘みを体験する生徒たち(田野町の桃山茶園)  田野中学校に代々受け継がれているもの、それは桃山茶園での茶摘みです。一番茶は4月末に全校生徒、先生、保護者みな総出で摘み取ります。今年は町のお年寄りも「昔取ったきねづか」でたくさん来てくれました。

 摘み方は「一芯(しん)三葉」。一芯三葉とは木の先端の芯とその下にある3枚の葉のことで指先で優しく丁寧に摘み取ります。今年は少し育ち過ぎていたので「一芯二葉」で摘みました。芯を摘み取った後のものを一・五番茶といい、5月中旬の摘み取りです。葉も少し成長しているので、一番茶に比べ収穫量は増えますが、味はやはり一番茶に分があります。

 茶園の仕事は茶摘みだけではありません。春先と夏休みには茶園の草刈りもします。これがなかなかの重労働で、終わるころには軍手が緑色に染まるのです。バッタやカエル、ヘビ、野ウサギまで飛び出します。

 お父さんたちもやったという桃山茶園の歴史を知るために、その当時、田野中学校に勤務していた北川道男先生にお話を伺いました。

 お話によると、桃山は戦時中は芋畑でしたが戦後、勤労生産学習のためお茶の木を植えました。段々畑だったこと、霧が発生しやすい所だったことなどがその理由のようです。今もあるセメントの道や物置小屋もそのころの先生や生徒が総出で作ったと聞きました。

 以前は学校に製茶工場もあって、先生たちが毎日交代で機械を操作していたそうです。今は安芸市の東川で製茶してもらったのを手分けしてふくろ詰めし、町の人たちに買ってもらっています。

 収益金は、修学旅行や社会見学のお小遣いとして使えるのが始めたころからの習わし。だからお茶を摘む手にも自然と力が入ります。

 昭和29年の開設だから今年で48年。「おまん茶摘みやったか」「おお、やったやった」。この一言で老いも若きも一つになれる田野中卒業生。この伝統をこれからもずっと引き継いでいってほしいと思いました。

 【写真】茶摘みを体験する生徒たち(田野町の桃山茶園)

 (小山香奈、牛窓未智記者)

田野中生の誇り ぴったり100歳 金のやん 元気な語り部

 明治34年生まれの西山金之助、ちょうど100歳。私のひいじいさんです。「金のやん」の愛称で親しまれ、今も大変達者です。田野町ではちょっとした有名人らしく、「金之助さんのひ孫かえ、大きゅうなったねえ」と知らない人にもよく声をかけられます。

 とても話し好きで、自分のことなら一日中でも話していそうな勢いです。ただし、昔の言葉で話すので、さっぱりわからんというのが本音です。

 よく話しているのが次の話です。

 「わしが小若衆(こわかいし)のころのある晩のこと。けち火が三宝さまの方から一つ、羽根岬の方から一つ飛んで来て、奈半利の川の口へ集まって、パッパパッパ光っちょいて、それがまた分かれて飛んで行ったそうな。現代の人はそんなこたぁあるか、と言うけんど、わしらあの年格好の人間はだれもが経験したことじゃ」

 このように数少ない語り部の1人で、ひ孫の1人としてとても誇りに感じています。

 (西山薫記者)

 元祖ライオン浜口雄幸邸 大正期の趣残る

 「ライオン」といっても小泉首相ではありません。浜口雄幸は、吉田茂とともに高知県出身の総理大臣。こちらが「元祖ライオン」なのです。

 明治3年、高知市の旧池村東孕唐谷に水口家の3男として生まれました。兄弟も心配するほどの勉強家で、優秀な中学時代の雄幸を知った旧田野村の浜口義立に見込まれ養子となり、後に一人娘の夏と結婚しました。

 昭和5年、彼の政策に反対する右翼青年の凶弾に重傷を負い、翌年容体が急変し帰らぬ人となりました。

 奈半利川近くにある浜口邸は、現在観光施設兼地元の小中学生の自学自習の場として活用されています。明治、大正時代のたたずまいを残す浜口邸にぜひ1度おいでください。

 (西尾拓哉、山本邦光、平瀬大祐記者)

「空き缶撲滅作戦」3年目 田野小 今年は何万個回収?

全校で協力して空き缶などを集めています(田野町の田野小学校)  2年前から田野小学校では町内の空き缶やペットボトルの回収に取り組んでいます。以前私たちの町にはたくさんのごみが落ちていました。中でもみんながよく飲むジュースの空き缶、ペットボトルがほとんどでした。そこで上級生たちが町長さんと相談して「空きカンペットボトル撲滅作戦」を開始しました。

 児童会が「毎朝登校時に全校生徒が2個ずつ拾ってきましょう」と呼びかけたところ、たくさん集まってきました。はじめのうちはペチャンコにつぶされていたり、さびついていたり、泥だらけだったり、変なにおいがしたり、とにかくきたなかったです。回収箱は日曜大工が得意だった前の北村隆男校長先生と6年生が作りました。

 集めた量に対して役場からごほうびを頂いたので、全校で話し合って、山田太鼓の力強い演奏を楽しみました。2年目は東京から世界的パントマイムの名手、清水きよしさんを呼ぶことができました。熱狂的に喜ぶ1年生がとてもかわいかったです。何もないはずなのに、まるであるように見えることに感動しました。今年もごほうびは用意されているので、だれを呼ぼうか検討中です。

 山のように集まってくるペットボトルのラベルやふたを外すのはひまわり学級の悠介君、空き缶のプルタブを外すのは代表委員会の人たちです。

 たばこの吸いがらや飲み残しが入っていて、特に夏はにおいます。ゴキブリは飛び出してくるし、手はベタベタになるし、プルタブで指を切ることもあります。でも、たくさんのごみが片づくとすがすがしい気持ちになれます。回収箱も心もすっきりします。

 最近、町の道路や浜は見違えるようにきれいになりました。空き缶を拾い集めるうちに学校のみんなは「ごみを捨てない人」に変身したようです。大人も子どもたちの姿を見ていろんな面で協力してくれています。1年目は1万5000個、2年目は4万2000個と約3倍でした。今年はいったい何万個集まるか楽しみです。

 個数を数えるためにプルタブを外していますが、とても車いすにはとどきそうにもありません。集めている学校にあげたいと思います。田野小学校(電話0887・38・2109)まで連絡ください。

 【写真】全校で協力して空き缶などを集めています(田野町の田野小学校)

 (西碕沙也加、平岡樹里、光内梨穂、大石美里記者)

旅先でもハロー 法隆寺で英会話体験

法隆寺でモニカさんと英語で話をしました  5月22日から24日は私たち6年生の修学旅行でした。奈良、大阪方面で歴史や集団生活を学んできましたが、田野小学校では代々大切な勉強がもう一つあります。それは、英会話です。

 観光地に来ているたくさんの外国人に英語で話しかけ友達になるのです。「どこからきたの?」とか名前とかいろいろ聞きます。自分の英語が通じたときはとてもうれしいです。

 法隆寺で会った女の人はフランスから来たモニカさんでした。私たちの英語に最初は驚いた様子でしたが、優しく答えてくれました。いい思い出ができました。

 【写真】法隆寺でモニカさんと英語で話をしました

 (西山慶乃記者)

私たちの主張

信念曲げない気質大切に

 総合的な学習の時間に、この新聞記事を作成して以来、何か身の回りの風景や人々が以前と少し違って見えるような気がする。

 例えば茶園。「中学生になったら茶園の仕事をさせられる」ぐらいにしか考えたことがなかった。でも町の人に話を聞くうちに、田野中卒業生は誰も「茶摘み」の一言で一体になれることが分かった。まるで前から知り合いのように思える。これを「伝統」というのだろうか。

 今回、書いた記事はすべて掲載されていないが、いろんな場所に取材に行った。

 例えば岡御殿。たまにしか訪れない山内の殿様のためだけに、ぜいたくに造られたものだけど、おかげでそのころの優れた文化を今に伝えてくれている。田舎だと思っていた田野が、実は京都や大阪とひんぱんに行き来した経済文化の中心地だったことを知った。最もうれしいのは、あの伊能忠敬も奈半利川を渡り、田野の浜を測量して、この岡御殿に泊まったということ。教科書の歴史が急に生き生きとしてきて、ぐんと身近になった。

 二十三士という言葉は田野町では常識で、幼いころから耳になじんではいたが、今回取材してみてあらためてその偉大さを知った。よく勉強していることにまず驚いた。日本の将来を真剣に考え、正直に行動し、理解されぬまま殺されていった。信念を曲げない強い生き方をしたこの人たちの気質を私たちも受け継ぎたいと思う。

 今回の企画で、それまで身近過ぎて考えもしなかった田野の歴史について深く考えることができた。知れば知るほどおもしろく、家族や友達に話したくてたまらなくなった。勉強って本当はこんなところから始まるのではないだろうか。教科書からは学ぶことのできないすごく大切なことを知った。これからは自分で決めたことは最後までやり通す強い生き方をしたいと思う。

 (田野中記者一同)

 首長メッセージ・桑名義彦町長  安心して未来託せる

 私は町長として「文化と教育を大切にする町・田野町」を町づくりの基本にしています。そして、子どもたちもそうした気持ちを持った大人に育つよう、学校の先生をはじめ、住民の皆さま方にご協力をお願いしているところです。今回この「子ども新聞」の記事を拝見して、私の願いに沿うように、子どもたちもよく学んでいるのだなあ、ということが推測されて、とてもうれしく思っています。

 子ども記者の皆さんが気付き取材した記事は、どれもが田野町をふるさととして育ち、立派に活躍をする大人になるために知っておきたい事柄や、出来事ばかりです。そしてどれもが、私はこうした町に生まれ、こんな町で育ったんだと、胸を張って話せることばかりです。

 私たち大人はこれまで、そうした誇れる町を、先祖や先輩から引き継いできました。もうすぐ今度は皆さん方にバトンタッチするわけですが、安心してふるさと田野町の未来を託せそうです。

▲ ページ上部へ


 「第9回移動高知新聞 ふれあい高新IN中芸 目次」 に戻る。

 高知新聞フロントページに戻る。


 

サイトマッププライバシーポリシーネット上の著作権新聞購読お問い合わせ