|

「ねえ、お父さん、『ごめんえきお君』と『なはりこちゃん』ってどんな関係? 兄妹かなあ? それとも恋人同士なの?」
安芸市本町二丁目の広告美術業、石坂公一さん(42)は、小学三年生の二男(10)にこう聞かれてハッとした。
石坂さんは市の「ごめん・なはり線開通記念イベント実行委員会」の委員長。同委員会は安芸駅前にヒマワリの花で迷路を造ったり、駅弁コンテストを企画するなど、ユニークなアイデアを次々打ち出し、開業ムードを盛り上げている。
特に、漫画家のやなせたかしさん=香美郡香北町出身=が考案した各駅のキャラクターは、なはり線一番のセールスポイント。「これをPRに生かさない手はない」と、知恵を絞っていた矢先だった。
「ほんと、子どもの発想って面白い。夢のあることを思いつくよねぇ。実際、漫画キャラクターを主人公にして物語を作ったら、絶対受ける。子どもが喜ぶ列車には親も乗る。これだっ!て思いましたよ」
その時、石坂さんには自分が十歳だったころの思い出も、鮮明によみがえってきた。
昭和四十年代後半。なはり線(阿佐線)の工事は既に始まっていたが、進み具合はちびりちびり。今の安芸駅周辺もずっと空き地のままで、ガキ大将の石坂さんらの格好の遊び場だった。
「草ぼうぼうで、ここに駅ができるなんてとても信じれんかった。でも、子どもらはその広場を『ぽっぽ広場』と呼びよった。汽車ぽっぽのぽっぽやろうねぇ。みんな幼心に、汽車が来るのを待ち焦がれよった」
それから幾星霜。つい数年前まで空き地だったぽっぽ広場に、駅舎や車両基地、地場産市場が立ち並ぶ。石坂さんらの世代にとっても、それは感無量の光景に違いない。
夢、あきらめず
しかし、開通までに費やした三十七年はいかにも長過ぎた。人口減に歯止めが掛からない本県。「地域の人は少なくなるばかり。今ごろ鉄道ができても…」「将来、高知東部自動車道ができたら廃線だ」――時の流れの中で、なはり線の運命はほんろうされ続けてきた。
確かに沿線住民だけの利用にとどまるなら、なはり線のお先は真っ暗だろう。頼みの綱は、土佐湾沿いの風景や漫画鉄道を“売り”にした観光客の誘致。実際、開業が近づくにつれて旅行専門誌で県東部が紹介されたり、大手旅行代理店がツアーを企画するケースが増えている。
もちろん、「なはり線が観光客をどんどん運んできてくれる」なんて考えるのは甘い。巨大テーマパークや有名観光地ほどの集客は、到底期待できないのが実情だ。それでも、石坂さんらは前向きに考える。
「赤字だからってあきらめたら、何も始まらん。夢だったなはり線が、長い時間は掛かったけど現実に走り出した。夢をかなえてもらった僕たちが、今度は子どもたちに漫画鉄道の夢を見させてあげる番だ」
ぽっぽ広場で列車が来るのひたすら待ち続けた遠い少年の日々―。地域を担うようになった彼らが今、なはり線に東部浮揚の夢を託す。そうだ。あきらめたら何もできない。七月一日、夢追い人たちの新たな挑戦が始まる。
【写真】「わぁ、海がきれい」。試乗会で歓声を上げる子どもたち(安芸市内)
(平成14年6月24日付朝刊掲載)
香長総局・山岡 正史
安芸支局・中河 孝博
中芸支局・高本 浩史
室戸支局・山崎 一城
=シリーズ終わり=
|