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国鉄再建法による工事中断、宿毛線先行、奈半利打ち切り、リニア構想断念―紆余(うよ)曲折を経て阿佐線は昭和六十三年三月、七年ぶりに工事を再開した。しかし工事の進み具合は、中断前と同じ「鈍行」だった。
日本鉄道建設公団のAB線(地方開発・地方幹線)建設予算は年間百五十億円。これが智頭(鳥取―岡山―兵庫)、北越北(新潟)、井原(岡山―広島)、宿毛、阿佐の五線に配分された。阿佐線の置いてきぼりは、その配分額の差に明らかだ。
平成元年度以降をみても、他の四線は毎年度二十―五十億円以上が投入されたが、阿佐線は八年度まで八億円で固定。工事はちびりちびり…。阿佐線は当初の工事実施認可は五線の中で最も早かったが、中断後の工事再開の認可は最後。それだけに関係者のいら立ちは一層強まった。
特に当時、終点駅となる安芸郡奈半利町の町長だった山本喜志夫(72)には公団の応対があまりに冷たく映った。陳情に行って「生殺しにするのか」と、声を荒らげたこともあった。
宿毛線など他の四線が相次いで開業する一方で、阿佐線は平成八年の完成期限を大幅に延長。十一年夏には高架橋のコンクリート壁の劣化問題まで起きた。それでもどうにか昨年末、四二・七キロのレール全線が締結。初着工から実に三十六年がたっていた。
新たな試練
「家族に仕事の話はしない人でしたが、亡くなる前に『できたら(開通したら)乗りたいな』と言ってました」
阿佐線建設運動に精力を注いだ室戸市の元県議、安岡一も昨年四月、亡くなった。妻の清子(83)は、安岡の晩年の言葉を思い出す。多くを語らないが、人望厚い政治家だった。
大正十一年の予定線編入から八十年、着工から三十七年という歳月に、安岡のように四国循環鉄道を夢見た多くの人々が逝った。阿佐線の高架橋には、時代の変化と政治にほんろうされた歴史が刻み込まれている。
全国最後のローカル新線、阿佐線は七月一日、「ごめん・なはり線」の愛称で開業の日を迎える。しかし、厳しい現実に目を背けるわけにはいかない。
土佐くろしお鉄道が発表したごめん・なはり線の初年度の収支見込みは五千七百万円余の赤字。その後も少なくとも三年間は一億円以上の赤字が予測される。
全国の第三セクター鉄道三十八社のうち土佐くろしお鉄道など三十一社が赤字経営(十二年度決算)という実情もある。赤字分は沿線市町村と県の負担になる。今後はさらに自立運営を目指し、新たな試練を乗り越えていかなければならない。
波乱の軌跡をたどった阿佐線は、県東部住民のマイレールとなれるのか。先達が描いた夢に厳しい課題も乗せて、一番列車が間もなく発車する。
政治部・久武靖彦 岡村啓太郎
=第1部終わり=
【写真】昭和40年の着工から36年目の昨年12月6日、全線のレール敷設が完了。安芸市東浜の安芸駅で全線締結を祝った
(文中敬称略)
(平成14年6月16日付朝刊掲載)
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