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国の「阿佐線は奈半利まで」の最後通告に猛抗議の声を上げた室戸市だったが、国にそう判断させた要因は、実は室戸市側にもあった。
阿佐線は昭和四十年、安芸市で念願の着工にこぎつける。だが、室戸市は建設促進を国に要望する半面、用地確保は全く進まず、同四十七年には一部の地区が「農地がなくなる」と基礎測量を拒否。日本鉄道建設公団に「土地立ち入り禁止」を通告した。
建設要望に相反するこうした地元の姿勢が最後まで尾を引くことになる。建設陳情を繰り返す県幹部に国は「室戸は自らチャンスを逃したんじゃないんですか」と、過去の因縁を度々ちらつかせたという。
平成元年三月十五日、知事の中内力(故人)は室戸延伸に精力を注いできた県議の安岡一(故人)ら同市関係者とともに国へ陳情に出向いた。一方で鉄道新線の国費建設を定めた国鉄改革法の期限が、同月末に迫っていた。
室戸延伸の、事実上最後の陳情だった。同行した当時の同市議会議長、柳川明滌(79)がこのときのことを述懐する。
「国には『今ごろ何しに来たんだ』という雰囲気が、あからさまだった。自分たちにも問題があった。『もう延伸はない』と観念せざるを得なかった」
厚かった壁
阿佐線を四国循環鉄道にする夢は、名実ともに断たれた。しかしなお「室戸まで」のわずかな可能性を模索していた人物がいた。知事の中内である。
中内は元年六月、突如として夢の乗り物「リニアモーターカー」(磁気浮上式鉄道)の阿佐線導入構想を打ち出す。室戸延伸への最後の手掛かりだった。
中内はその前月、横浜市で開催中の横浜博覧会で、常電導式リニアに自ら試乗していた。「遅れを逆手に」。中内の政治信条にぴったり符合したのだ。
超高速で高い安全性、低騒音、低振動、高い集客力…まさにドリームカー。県は九月県議会に調査費約一千万円を補正計上。阿佐線の沿線住民も注目した。
翌年五月、その調査結果が出る。内容は「建設費は六十億円増すが、導入は可能」という積極評価だった。中内は六月県議会でリニア導入への意欲を正式に表明した。
しかし、国の壁は厚かった。リニアの技術評価は確立しておらず、「普通鉄道」だった阿佐線の「特殊鉄道」への認可変更は認められなかった。時代は橋本大二郎県政に移り、四年一月、県は正式に断念を決めた。
中内は回顧録「県庁わが人生」で語っている。
「東部の人たちに十分報いることができなかったことが、今もって残念だ。リニアの時代は必ず来ると思う。黒潮躍る太平洋岸を走るスマートな姿が目に浮かぶ」
【写真】幻となった阿佐線へのリニアモーターカー導入構想。海岸線を走るイメージ図だけが残る(県交通政策課提供)
(文中敬称略)
(平成14年6月14日付朝刊掲載)
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