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阿佐線の沿線市町村に「六十二年度中の工事再開」を約束し、宿毛線の先行着工を取り付けた県は、知事の中内力(故人)を先頭に国へ猛攻勢を掛けていた。
国はなかなか明確な答えを示そうとしなかったが、日本鉄道建設公団が六十二年七月に発表した事業計画の中で、AB線(地方開発・地方幹線)関係予算のうち十億円を保留した。これは建設凍結中の新線への配分を意味した。阿佐線工事再開への展望が開けた。
沿線の関係市町村も阿佐線建設促進期成同盟会を解散し、県も加わって新たに「阿佐線建設促進協議会」を設立。ゴーサインを待っていた。
ところが、同年九月四日、当時の県企画部長、長尾謙一郎(70)の元に一本の電話が入った。運輸省の担当官からだった。
「奈半利までなら認められそうだ。地元の合意が得られますか。十二日までに調整してほしい」
諸情勢から見て、これが阿佐線建設に関する国の「最後通告」だった。「奈半利まで」を条件に工事再開を認める、冷徹な“断線”通告である。
「ついに来たか」。意外にも長尾は動じなかった。「国との交渉過程で『奈半利まで』は十分予測できた。でも阿佐線再開への最後のチャンス。むしろ腹が据わった」
「断腸の思い…」
しかし「奈半利打ち切り」は、当然、地元に激震をもたらす。国への回答期限は八日後。慌ただしい日々が始まった。
長尾は三日後の県議会企画建設委員会で「現行制度では室戸への延伸は望めない。現実的な県益を優先し、運輸省の意向を受け入れたい」と県の最終判断を明確にした。
その上で長尾は八、十の両日、衝撃が広がる室戸市に乗り込み、同市議会への説明に臨んだ。
険悪な空気が充満する議場で、県の力不足をわび、「引き続き室戸延伸に努力する」と繰り返すほかない長尾に、議会は集中砲火を浴びせた。「室戸の悲願を踏みにじるのか」「室戸を見捨てるのか」―市議会は納得せず「絶対承服できない」との決議を行った。
続く十一日、国の最後通告を沿線市町村が最終判断する阿佐線建設促進協議会が、安芸市のホテルで開かれた。会場は建設が確実になった奈半利以西の市町村の安ど感と室戸市の怒り、焦燥が入り交じった。
質疑では室戸市を中心に反対意見が出たが、最後は結局、「六十三年度末の法期限まで室戸延伸に最大限の努力をする」と意見を集約し、県の方針を受け入れた。半世紀を超える四国循環鉄道構想の夢は、風前のともしびとなった。
このとき既に宿毛線の工事は再開され、第三セクター「土佐くろしお鉄道」は翌六十三年春の中村線開業の準備を進めていた。東西の明暗、「西高東低」が際立った。
当時の室戸市長、中谷岸造(故人)がそのときの思いを語っている。
「断腸の思いだ」
【写真】建設工事が中断したまま風雨にさらされていた昭和62年当時の阿佐線の高架橋。この年、「工事再開は奈半利まで」が決まる(香美郡赤岡町)
(文中敬称略)
(平成14年6月13日付朝刊掲載)
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