|
昭和四十年に着工した阿佐線の工事が難航していた裏で、確実に進行していたのは国鉄の財政悪化だ。
国鉄は昭和三十九年の赤字転落以来、雪だるま式に債務が膨張。以後、合理化の嵐にさらされる。五十五年十一月成立した国鉄経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)は、分割・民営化前の最大のヤマ場だった。
同法施行時、県企画部長だった小松三良(76)=元副知事、現日本赤十字社理事=は室戸市出身で、父は四国循環鉄道実現に尽力した県議の横山徳郎(故人)。小松は再建法施行を
「来るべきものが来たな、という感じだった」
と振り返る。それだけ、当時の赤字路線への風当たりは強かった。
同法と翌五十六年の施行令で輸送密度四千人未満の路線が廃止対象となり、本県ではまず予土線が、六十年度以降は中村線が対象となった。
現にあるレールをはぐという話だ。より輸送密度の低い阿佐、宿毛両線の工事は当然、ストップする。「運輸省の姿勢は厳しかった。一県に二つも新線を抱え、阿佐線は距離も長かったですから」と小松は言う。
五十六年十月、阿佐線は宿毛線とともに正式に工事を中断。その時、阿佐線は、後免−奈半利間で虫食いのように約一九キロ、44%の工事しか完了していなかった。
ゴーサイン
一方、県議会は五十五年二月定例会で、超党派の国鉄地方交通線対策特別委員会を設置。委員長に室戸市出身の安岡一(故人)を選んだ。安岡は小松の父、横山の地盤を継いだ県議で、四国循環鉄道にかける情熱も人一倍だった。
特別委では、まず予土線の存続が問題になったが、これは思わぬ形で決着がついた。
五十六年三月、窪川原発をめぐる同町長、藤戸進(元県議)のリコール阻止のため、自民党幹事長の桜内義雄(元衆院議長)が来高。同町の集会で「原発と関係のある予土線は必ず残されるものと確約する」とぶち上げたのだ。
存続の表向きの理由は後に、廃止の例外措置の「道路の未整備」となったが、政治決着は明らかだった。
残る阿佐、宿毛線をどうするか。特別委は精力的に活動した。二十数回の委員会を開き、運輸省や国会議員への陳情、情報収集に奔走した。
だが、両線の議論は自然と一つの方向に集約されてゆく。国鉄再建法では、廃止路線はバス輸送への転換か、地元の第三セクターなどに移管するしかなかった。
特別委の副委員長として安岡を支えた元県議の栗原透(74)は
「要は三セクか建設をやめるかの二者択一。三セクが赤字を抱える心配はあったが、鉄道による地域振興をあきらめる空気は全くなかった」
と述懐する。
五十八年二月定例県議会。安岡は本会議で「両線の建設は第三セクター方式以外にないと思われる」との委員長報告を読み上げた。県執行部が国鉄再建法に備えて三年前から検討を続けてきた三セクづくりに、ゴーサインが出た瞬間だった。
【写真】国鉄再建法で県政は大揺れに。沿線住民が鉢巻き姿で予土線存続と阿佐、宿毛両線の建設促進を訴えた決起大会(昭和55年11月29日、県庁正庁ホール)
(文中敬称略)
(平成14年6月10日付朝刊掲載)
|