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雇用6倍25億円産業に
田舎のメッセージを丸ごと商品として届ける馬路村農協の販売戦略は、大勢の都会の人に受け入れられた。
平成二年、情報発信と商品開発が軌道に乗り始めると、面白いようにユズ加工品が売れだした。
中元、歳暮時期にはパニック状態。「注文を受けた以上は、何とかせんと信用にかかわる」。連日深夜まで残業をしながら、東谷望史生産加工課長(48)は考えた。
「青果は直接、産地のメッセージを書き込めん。けんど加工品は違う。商品自体が地域のメッセージになる。通信販売に比重を置いたら、山の中でも産業が成り立つ。都会よりかえって田舎の方がストーリー性を持たせて情報が出せる。うちの方が有利や」
村に住みたい
平成五年、待望のユズ加工場「ごっくん工場」が完成。五人ほど雇用を拡大し、ユズの加工販売に当たる職員は二十人強になった。十年ほど前までは三千万円前後だった売り上げは、ついに十億円を突破した。
その後も都市住民の「馬路村応援団」は増え続け、十年には二十億円の大台に乗った。そしてこの年、村農協は大きな決断をした。
二月、県内八農協構想に基づき安芸地区の十三農協が合併総会を開いた。だが、村農協六百六十人の組合員のうち約八割が合併不参加の意思を表明。十月に他の十二農協が合併して「土佐あき農協」が発足したが、馬路村は独自の道を歩むことになった。
昭和二十三年、農協法ができ、各地に単位農協が発足した。農協は営農指導、信用、共済事業…、どれをとっても地域になくてはならないものだった。
「それが今はどうやろう」。東谷課長は問い掛ける。
合併のスケールメリットを追求することで、逆に足並みの乱れを招いてはいないか。地域の行政や住民とのパイプはしっかりしているか。農協はそれぞれの地域でその役割を担っているか。
また、「今までの農協は売り方の工夫と、危機感がなさすぎたのではないか」とも言う。
「生産し、加工して売る。民間の企業でできゆうことが、なんで補助金が使える農協にできんがやろう。うちの取り組みの原点はそこにあった。いろんなことをやって、それでもだめやったら合併を考える。合併は最後の最後の手段やと思う」
十一年度の村農協のユズ加工品の売り上げは二十二億四千万円に達し、さらに十二年度は二十五億七千三百万円と村の当初予算規模を上回った。
十数年前は十人ほどだったユズ加工・販売職員も、パート勤務を含め六倍の六十人になった。
玉出荷全盛期の昭和五十年代、だれも見向きもしなかった加工品に活路を見いだした村農協の頑張りは、村の過疎化・少子化の歯止めに大きな役割を果たしている。
東谷課長は言う。
「ただ誤解せんといてもらいたいのは、僕らは農協という組織を、維持するためだけに働いてきたがやない。この馬路村に住みたい。これからもずっと住み続けていきたいと思うて、ユズで頑張りゆうだけながです」
そして村農協は、今年から新たな取り組みを始動させる。「売れたらそれでえい、というもんじゃない。もっと村の自然にこだわろう。無農薬よりも安全で、環境に優しいユズを作ろう。情報化時代に対応して、お客さんを待たせん仕組みも作りたい」。ユズの村の挑戦はまだまだ続く…。
【写真】平成5年に完成した「ごっくん工場」。年間の売り上げは25億円を超え、ゆずジュースの充填(じゅうてん)機もフル稼働だ(安芸郡馬路村のユズ加工場)
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