GHQの時代 <高知 占領下の記憶> <10> 続き

病室  桂三に会いたい…


スタンレー・中上さんが撮影した敗戦後の高知市。これは播磨屋橋交差点で左上が四国銀行本店  敗戦直後、現「南加高知県人会」会長の山本政一さん(77)が警備する高知市横浜の進駐軍宿舎に住んでいた元CIC(防諜(ぼうちょう)部隊)要員が米国カリフォルニア州ガーデナ市にいる。

 ハワイ出身の日系二世、スタンレー・中上さん(76)。

 CICは、高知軍政部が入る高知市西弘小路(現丸ノ内一丁目)の旧電気局ビルの一室を占めていた。スタンレーさんは軍属としてそのスタッフに加わっていたらしい。日本に向かう船の中で終戦を知り、昭和二十年秋に高知入り。二十二年九月まで高知のCICに勤めた。

 帰国後、高知時代に知り合った日系二世のマグレットさん(72)=両親が高知県出身=と結婚。ソルトレークシティー、シカゴと移り住んだ後、四十五年前、マグレットさんの故郷であるこの地に落ち着いた。

 彼の自宅に電話する。

 「ハロー」

 マグレットさんが電話に出た。ゆっくり話せば日本語でも通じる。

 「スタンレーさん、いらっしゃいますか」

 しかし…。スタンレーさんが電話口に出ることはなかった。

    ■  □

 マグレットさんによると、今年二月から中風のためガーデナ市内の病院に入院してリハビリを続けていた。手足が満足に動かせない上に、重度の言語障害もあるらしい。なんとか話を聞きたいが…。

 ガーデナはロサンゼルス中心部から車で約一時間の静かな住宅街だ。不安を持ちつつ夜の病院を訪れる。

 「面会時間は過ぎている」と渋る看護婦に、「どうしても会いたい」と頼み込み、消灯後の薄暗い病室へ。

 ベッドに横たわるスタンレーさんはやせ細っていた。

 「高知から来ました」と言うと、うれしそうな表情を浮かべた。起き上がろうとするが、体がいうことを聞かない。こちらの質問は理解し、懸命に答えようとするものの、言葉にならない。手も不自由なため、筆談も不可能だ。

 会話にならないもどかしさからだろう、目から涙が流れ落ちた。と、スタンレーさんが必死の思いで声を振り絞った。奇跡のように一つの言葉が耳に届いた。

 「ケイゾウ…ワタナベ…に…会い…たい」

    ■  □

 この連載の七回目で紹介した渡辺桂三さん(70)=大阪府枚方市。スタンレーさんがCICにいた当時、事務所で働いていた少年だ。

 スタンレーさんが渡辺さんに会いたいことは知っていた。平成六年、南加高知県人会を訪れた高知新聞記者に「あの少年に会いたい」と打ち明け、それが記事になったことがあるからだ。

 しかしその思いがこれほど強烈とは思わなかった。スタンレーさんの意識には、今も敗戦直後の高知の情景が鮮明によみがえってくるのかもしれない。彼の場合、勝者として高知に乗り込んでいる。戦争が終わった解放感も加わり、高知にはいい思い出があふれているのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、握手を交わして病室を後にした。

    ■  □

 「そりゃあ、スタンレーは(ケイゾウに)会いたいでしょうねえ。私も会いたいです」

 翌日、マグレットさんに当時の話を聞いた。

 【写真】スタンレー・中上さんが撮影した敗戦後の高知市。これは播磨屋橋交差点で左上が四国銀行本店

   


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