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戦後五十五回目の夏、平成十二年八月十八日からの三日間、南国市で「第四回戦争遺跡保存全国シンポジウム」が開かれる。かつて高知海軍航空隊が設置されていた高知空港周辺には、当時をしのばせる戦争遺跡が数多く残る。風化する戦争体験をよそに掩体壕(えんたいごう)やトーチカは、五十五年間の風雨に耐えている。シンポを通じてあらためて注目を浴びる空港周辺の戦争遺跡を紹介する。
◆空襲から守る目的
早場米の産地、南国市の高知平野では既に稲刈りが進んでいる。炎天下、大平洋から吹き抜ける風に黄金色の稲穂が揺れ、稲の香りが漂う。その中に立つ巨大な灰色のコンクリート製の掩体壕(掩体とも呼ばれる)は異質なコントラストを醸し出す。
掩体壕は戦時中、航空機を米軍の空襲から守るために建設された。計四十一基があったが、木製のものは敗戦後に解体され、コンクリート製九基のうち現在、七基が残っている。最大の掩体壕は高さ約十メートル、幅四十五メートル、奥行き二十二メートル、コンクリートの厚さは少なくとも五十センチはある。
高知空港史によると、掩体壕を建設した高知海軍航空隊は昭和十九年三月、偵察搭乗員の訓練のため開設された。飛行場や兵舎の建設のため、旧香美郡三島村の七割に当たる約二百十二ヘクタールを接収、同村は消滅した。滑走路はコンクリート舗装の長さ一千メートル、幅六十メートルが一本、砂利舗装の長さ一千メートル、幅四十メートルが二本。西側の前浜地区には誘導路や掩体壕が建設された。
◆7件が文化財に
戦争遺跡保存全国シンポは二十一世紀を目前に、戦争の記憶が風化の危機に直面している中、戦争遺跡を戦争の「語り部」として次の世代に継承しようと平成九年から毎年開いている。今回は長野市松代、沖縄県南風原町、京都市に続いての開催となる。
戦争遺跡は昨年までに全国で七件が文化財に指定された。掩体壕も大分県宇佐市の海軍航空隊のものが市史跡に指定されている。南国市でも市民団体が指定を求めて活動を進めている。
同シンポ実行委員会の事務局長、窪田充治さん(69)=同市陣山=は「高知空港周辺の戦争遺跡は、軍は国民を守るのではなく、国民を犠牲にしてでも国家体制を守ることを示している」と説明する。
掩体壕やトーチカ、そして軍事施設建設のために消滅した三島村。空港周辺には有形無形の戦争の跡が残っている。
(香長総局・西泰正)
【写真】かつての軍用飛行場から離陸する民間ジェット機。掩体壕だけが当時をしのばせている(南国市前浜から望む)
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