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世界八十八カ所音楽巡礼を続けてきたシンセサイザー奏者で作曲家、西村直記さん(51)=安芸市畑山=がことし九月、韓国ソウル近郊の烏頭山で結願の最終コンサートを開く。広島、ハワイ真珠湾、ベルリン、南京、イスラエル…。十二年の年月をかけて、戦争の傷跡深い地やいまなお紛争の絶えない国々を巡った。時にはたった一人で演奏する孤独な、しかしエネルギッシュな旅。西村さんを音楽巡礼に駆り立てたものは何だったのか。旅の足跡をたどり、平和と鎮魂を祈る心の軌跡を追った。
■暗転した運命
すべては二十一年前の、「あの日」にさかのぼる。
西村さんは東京芸術大学器楽科を卒業後、郷里の松山市に戻り愛媛大学で音楽講師をする傍ら、自宅でピアノ教室を開いた。熱心な指導が評判で生徒は年々増えた。また、地元放送局の依頼でラジオのディスクジョッキーも務めていた。生来の気さくで明るい性格が受け、番組の人気は上々だった。
当時三十歳。学生結婚した妻、知恵さん=当時三十二歳=との間に六歳の長女、花子ちゃんと四歳の長男、英将(ひでゆき)ちゃんがいた。さらに知恵さんは三人目の子を妊娠して五カ月目。仕事も私生活も順風満帆。怖いもの知らずだった。そんな充実した日々の中で事故は起きた。
一九七九年のその日、知恵さんは英将ちゃんを連れ、松山市で開かれたバレエの発表会を見に出掛けた。その会場で二人は誤って約五メートル下のオーケストラボックスに転落、大けがを負ったのだった。
病院の待合室で医師に告げられた言葉を、西村さんは今も忘れられない。
「命が助かるかどうか分かりません。仮に助かったとしても、一生寝たきりになるかもしれません」
「妻がですか、子どもがですか」
「お二人ともです」
体が震えた。
■石手寺での体験
医師らの懸命の治療のおかげで、二人とおなかの赤ちゃんの命は助かった。だが、ほっとする間もなく、西村さんは二人の看病と花子ちゃんの世話に追われた。病院と自宅を往復する生活に、さらに追い打ちをかける“事件”が起きた。ピアノ教室の生徒が「指導が厳し過ぎる」と集団で反発、四十人の生徒の半数が辞めてしまう。
「事故で心が不安定だったこともあって、手伝いに来てくれていた私の母や幼い子どもにも何かと当たり散らしていた。そんな時に生徒の集団離反。自分は家庭人としても教育者としても失格なのではないか」
失意のどん底に沈んだ。
そんなある日。ふらりと家を出た西村さんは、気が付くと近くの四国霊場五十一番札所「石手寺」の境内にいた。子どものころから遊び親しんだ場所。季節は秋。白装束のお遍路さんがひっきりなしに訪れ、一心に祈っている。穏やかな日差し。線香の煙が漂い読経の声が静かに流れる。心が和んだ。目を閉じると、かすかな光が見えたような気がした。
「ひたすら祈り、救いを求めるお遍路さんの姿が、妻子の無事を祈る自分の心とぴったり重なったんです。家に帰って母親に言うと、『お大師様が導いてくれたのかもしれないよ』と言われて…」
この体験の後、西村さんは忙しい合間を縫って、四国八十八カ所参りを始める。妻子の命が助かったお礼を込めて各寺で無心に祈るうちに、心の中にメロディーが浮かんでくるようになった。それを五線譜に書き取りながら歩く。音楽巡礼の始まりだった。
(安芸支局・中河孝博)
【写真】バチカンでのローマ法王謁見(えっけん)演奏の後、ヨハネ・パウロ二世と握手する西村さん。世界各地で平和と鎮魂を祈る音楽巡礼を続けてきた(1990年12月5日) |