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勇者の黄昏 土佐マグロ戦記 <8>  続き

新米の現実
手は腫れ体重減り

 <大自然の中で自分がこれほどまでに無力だったか、痛いほど思い知らされた。シケの中、立てないのだ。揚げ縄の時、両手がふさがっているので転げ回る。私がたぐった枝縄はヨリがついて輪が不ぞろいなので使いものにならない。先輩たちは怒りながら、わたしの枝縄をたぐり直した。私は甲板でいつも小さくなっていた>

暴風吹きすさぶシケの海で延々とはえ縄を巻く。体力の限界まで体を使う(昭和57年ごろ、南アフリカ・ケープタウン沖。斎藤健次さん撮影)  斎藤健次さん(53)=千葉県船橋市=の「まぐろ土佐船」(小学館刊)には操業当初の体験が淡々と記されている。烈風吹きすさぶ南半球高緯度。どこにも逃げ場はない。死に物狂いで仕事を続けるほかなかった。

 <来る日も来る日も、シケの海に縄を入れては縄を揚げる。休みなしで延々十五時間に及ぶ労働は自分の限界を超えていた。両手がグローブのように腫(は)れ上がった。歯ブラシも持てないほどの痛み。七〇キロの体重が六〇キロに激減した>

    ■  □

 遠洋マグロ船の船員には二種類ある。「海の街」に生まれ、当然のように船に乗る者がその一つ。代表格が大漁労長として勇名をはせた久田安弘さん(68)=室戸市室戸岬町=だろう。

 斎藤さんが乗った「第十六合栄丸」で見ると、山田勝利漁労長(62)=室戸市吉良川町=がそちらの方に入る。山田さんは高校卒業後、極洋捕鯨に入社してキャッチャーボートに乗っていた。けがをして砲手の道を断念、マグロ船に乗り始めている。

 もう一つのグループは、斎藤さんのようにもともとおかの仕事をしていた人たち。こちらの方は船に乗った時の苦労も多い。

    ■  □

 斎藤さんは東京・渋谷区富ケ谷に生まれた。父親は東映の俳優、斎藤紫香氏。映画では加藤嘉らと現代劇に出演、テレビ時代になってからは「七色仮面」や「ナショナルキッド」に出ていた。「『ナショナルキッド』では水野博士役だった」と言う。

 映画の景気はよかった。家の前が東大の駒場キャンパス。そこを庭代わりにしてお坊ちゃん生活を送っていた。ところがその父が突然死ぬ。一家は貧乏のどん底に落ちる。

 斎藤さんはアルバイトしながら中学、高校を卒業。広告代理店、編集プロダクションを経てフリーの取材記者となる。のちにノンフィクションライターとなる生江有二氏と一緒に週刊誌の原稿を書いていた。しかし…。やがて行き詰まる。

 「三十歳の手前でした。物書きに向いてないんじゃないか、と思うようになりまして…」

 悩んだ末、新しい人生を見つけようとする。その第一歩がマグロ船だった。

    ■  □

 出港から一年後、「第十六合栄丸」はコック長が体調不良で船を去った。代役を斎藤さんが任される。船に乗るまでの一年数カ月、安芸市の食堂で働いた腕を買われたのだ。一日四食、必死で食事を作った。

 その二カ月後、「十六合栄」は満船で帰国した。斎藤さんはこの航海だけで船を去るつもりだったが、山田勝利漁労長(62)に声を掛けられる。「コック長として次も乗ってほしい」

 斎藤さんはその要請を受け入れた。二航海目から、船は新船の「第三十六合栄丸」に代わっていた。

 「船にノートとカメラを持ち込んでいましたが、一航海目は写真を撮ったりする余裕なんてとてもとても。二航海目も食事作りで精いっぱいで…」

 やっと余裕ができたのは三航海目だったという。

 【写真】暴風吹きすさぶシケの海で延々とはえ縄を巻く。体力の限界まで体を使う(昭和57年ごろ、南アフリカ・ケープタウン沖。斎藤健次さん撮影)


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