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語る夏語らない夏 <6> 続き

長崎被爆者(上)  取材断り続け逝く

地獄 思い出したくない
 「原爆の地獄を思い出すのは、いやです。取材はお断りします」

雪蹊寺を訪ねると、山本玄宙さんの初盆が営まれていた。温和な遺影とは裏腹に、心の中には被爆という大きなものを背負っていた(高知市長浜)  三年前の七月。県内の被爆者にインタビューを続けていた時、長崎で被爆した一人の男性にきっぱりと言われた。高知市長浜にある四国霊場八十八カ所第三十三番札所、雪蹊寺の住職、山本玄宙(げんちゅう)さん=当時(69)=だ。

 インターホンを通して「地獄」「思い出したくない」と言った玄宙さんの口調は重く、重く、その後もインタビューに応じることはなかった。

 二年後、玄宙さんは自ら被爆者として、多くの人の前に登場する。中村市の団体職員、岡村啓佐さん(49)の写真集「高知の被爆者 ヒロシマ・ナガサキ そして ビキニ」の中で法衣をまとい、温和な笑みを浮かべていた。

 岡村さんはこの写真を撮った日のことを、よく覚えていた。

 「私もいきなり雪蹊寺を訪ねて、被爆者の写真を撮っている自分の思いを率直に伝えたのですが、すぐに話すということにはならなかった。その日、時間を置いて、もう一度訪ねたら、話してもらえたんです」

 「私は八十人を超える被爆者を訪ねましたが、答えてくれたのは五十数人。なかなかすんなりとは話してくれんですよ。背負っているものが…大きいのでしょうね」

 玄宙さんは昨年暮れ、市内の病院に肺炎で入院。闘病生活を続けていたことし四月二十八日、七十二歳で亡くなった。

     □   ■

 また夏が来た。ヒロシマ、ナガサキは、人類が絶対に繰り返してはならない惨劇を永久に伝え続ける。

 玄宙さんは本当に語りたくなかったのだろうか。思い出したくないほどの「地獄」を語ったことがなかったのだろうか。

 ためらいながらも再び雪蹊寺を訪ねた。セミの声が響き渡る境内を通り、三年前に押したインターホンをもう一度押した。

 「和尚本人がようしゃべらんかった分、私が話して、戦争の悲惨さを伝えてもよろしいんじゃないでしょうか。お互い一番の理解者でしたから、きっと分かってくれると思います」

 妻の元子さん(60)は笑顔で迎えてくれた。

 「和尚はもともと、多くは語らん人でした。お酒が入ると陽気にいろんなことを話しましたけど、原爆のことは…。口にすることが本当に少なかった。被爆について、いろんな人が取材に来たみたいですが、『映画でやってるのと同じだよ』と応じんかった。親しい人には話していたようですが、少ない人数だと思います。お葬式で弔辞を読んでくださった方が被爆体験にふれてくれたんですが、それで初めて知った人も多かったでしょうね」

 祭壇があった。玄宙さんの初盆だった。写真集のポートレートと同じような温和な表情があった。

 「私が知っている範囲で構いませんか」と前置きした元子さんの話は、一九四五年八月九日午前十一時二分、新説では同十時五十二分、長崎市に原爆が落とされた瞬間へ移った。

 「三菱長崎製鋼所に徴用されていた十七歳の和尚が、病気の同僚を病院へ運び込んで『早う治って、元気になれよ』と別れた時でした。ピカッ。窓の外、何かが光った。大変なことが起こったと、とっさに壁と壁の間に飛び込んだ。ごう音とともに壁が崩れ、体の上に落ちてきたそうです」

 病院は爆心地から四キロの所にあった。がれきの中から抜け出ると、人は皆、窓ガラスが体に刺さっている。製鋼所も跡形なく消えていた。山手の防空壕(ごう)に行くと、ひどいやけどを負った女子工員たち。求めに応じて水を飲ませてやるなり、息絶えた。

 「その時、寺の小僧として覚えていた般若心経を、読んであげたそうです」

 玄宙さんが語らなかった「夏」を、「地獄」を、元子さんは時々、肩を震わせながら語り続けた。

 【写真】雪蹊寺を訪ねると、山本玄宙さんの初盆が営まれていた。温和な遺影とは裏腹に、心の中には被爆という大きなものを背負っていた(高知市長浜)


「語る夏 語らない夏」−目次−

<1>中国残留婦人 <2>ニューギニア戦線(上) <3>ニューギニア戦線(下)

<4>沖縄戦(上) <5>沖縄戦(下) <6>長崎被爆者(上)

<7>長崎被爆者(下) <8>高知大空襲(上) <9>高知大空襲(下)

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