ひとつの大家族である「高知家」が、ますます元気な家族となるよう、
さまざまな発信をしてまいります。
中井 勇介さん
職 業/ クラインガルテン
もとやま 管理人
移住地/ 長岡郡本山町
出身地/ 三重県志摩市
移住年/ 2010年
[2013年より現職]
 中井君は本山におってもらわんといかんね」。大石のおばちゃんたちが掛けてくれる、自然な優しさ。一人の人間として必要とされる場所でなら、きっと大丈夫。20代の中井勇介さんに移住を決心させたのは、地域の人たちとの関係でした。
 中井さんは地域おこし協力隊に応募して、三重県の志摩市から本山町へ赴任しました。本山町では2010年から採用を開始し、これまでに8人のOBが本山町や近隣地域に定住しています。起業と定住は協力隊が派遣先の自治体から期待されているミッションでもあります。3年の任期を終えた中井さんは、新しく誕生した滞在型の市民農園「クラインガルテンもとやま」の管理人として定住しました。管理業務のほか、利用者と地域を結ぶ体験交流イベントも企画します。
 自然な流れで「ここに残ろう」と思ったそうで、「3年間、農業もやりましたが、特別な“何か”を成し遂げたわけではありません。地域にお世話になりっぱなし。それでも、何となくでも、自分にしかできないことが見えてきていました。とはいえ、人生も地域のことも長期的に考えると、今はけっこう切羽詰まった焦りを抱えています。次の段階へとチャレンジをしていかなくては」。任期中、特にお世話になっていたのが、棚田のみごとな大石地区の人たちでした。中井さんは本山の町に住んでいたこともあり、任期が終わった時点で「もっと大石の集落の人間になりたい」と思ったそう。山に近く暮らしたくて、大石で空き家を探しました。そこへ地区の大先輩たちに「話がある」と呼ばれ、「クラインガルテンができたら大石農事組合法人として指定管理に手を挙げるので、中井君も一緒にやろう」と誘われたというわけです。中井さんは「ぜひやりましょう」と答え、地域に残る仕事をつかみました。
クラインガルテンもとやまへは、国道439号から樫ノ川に沿って奥へ車で15分ほど。
両岸に開けた棚田が壮観です
 週3~4日という勤務のかたわら、中井さんは複数の地域活動を行っています。
 中山間ではいくつもの手仕事を持つほうが豊かで安定もするという考え方です。「もともとの性格もありますが、やはり3年間での気づき。スペシャリストよりもオールラウンダーでありたいんです」。中井さんが関わっている活動は、山の暮らし研究所・まちかつ・土佐あかうし研究会・もとやま森援隊・たんころクラブ・6次産業化プランナー・地域サポート人アドバイザー・土佐の森救援隊・県地域移住サポーター・みつや交流亭(大阪)など。地域の住人として未来の姿を模索している様子が伝わります。大石地区の人たちも同じ思いで見守っているのではないでしょうか。
 本山へ来て、「先祖代々の土地」という映画のような言葉を普通に口に出す人たちがいることに、深く驚いた中井さん。田も家地も山も、売り買いするものではなく守り受け継ぐものなのだと。「弥生時代から稲作があったことが地域の遺跡から発見されています。この重なり合う棚田は山を切り開いてきた先人たちの結晶なんだなと思います」
 大学で建築を、大学院では建築を取り巻くまちづくりを学び、今も地域づくりへの思いは強くあります。本山だけでなく故郷の伊勢志摩、そしてまちづくりの勉強でお世話になった大阪もまた、中井さんにとって大切な場所なのです。それぞれを結んで、地域が住みやすくなっていくお手伝いや、仕事へのチャレンジもできればと考えています。「お帰りと迎えてくれる場所が三つあるって幸せなことですよね」
「高知はおもてなし最先端の土地。返杯の文化はすごくいいですね。お酒が強くなくても、誰かが杯を持って話に来てくれる。知らない人にこそ杯を持って行くでしょう。高知は人をもてなす楽しさが根付いていて、基本シャイだけど、一晩飲んだら友だち。以前は『協力隊の人』だったのが、地域に定住してからは『中井』のレッテルへ早めに変われたかなと。中井個人として生活していくことが大事で、他の移住者も同じ思いでいるのでは」
協力隊時代に中井さんが大工さんと建てた大石展望台から望む、吉延地区の棚田。今年も天空の郷米が育っています