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第10回黒潮マンガ大賞 大賞受賞者の横顔
<コマ部門>なだち えんとさん
アイデア練るのが好き
「正直いって予想していませんでした。よく選ばれたな、という感じです」
コマ漫画の部で大賞を受けた、なだちえんとさん(43)=本名・浜本康之さん、名古屋市緑区=は受賞の感想を語る。
受賞作「パートタイム」は六点応募したうちの一点。かごの中の鳥がアルバイトでハト時計の仕事に向かうという、とぼけた感じの作風。一次審査の段階から矢野徳さんらが「タイトルが効いている」と推していたものだ。
「さりげなく描(か)いたのが良かったのかも。自分では一緒に出した『検眼』という作品の方が気に入っていたんですが、なかなか思い通りにはいきませんね」と苦笑する。
本業はイラストレーター。二十代から独学で腕を磨き、現在はフランスの児童月刊誌などのイラストを手がけている。漫画を始めたのはほんの五、六年前。「黒潮マンガ大賞」にはそのころから応募し、これまでに第五回、九回で入選している。
「とにかくアイデアを考えるのが好き。知的冒険を楽しんでいる」となだちさん。“ネタ帳”なるノート数冊には、この五年間に書きためた約二千五百ものアイデアがびっしり。「パートタイム」は今年三月に思い付いた二千三百九十二番目のアイデア。「僕はとにかくアイデアで勝負。漫画は自分の考えたアイデアを形にできる唯一の手段なんです」と話す。
実はなだちさん、今年初めに北海道上湧別町の「オホーツク国際漫画大賞」で大賞を受賞、先ごろ発表された愛媛県城川町の「全国かまぼこ板の絵展覧会」でも大賞に。今回の「黒潮マンガ大賞」で見事“三冠”を達成したことになる。
この受賞続きについて「二千五百の中からアイデアを精選している、という強みがあるから、入賞する率が高くなっているのかも」と自己分析する。
今後は「漫画とイラストの融合」を考えているという。「漫画を描くことで、本業のイラストの方にも好影響が出ている。いかにも漫画漫画したものじゃなく、ユーモアのセンスを加味した絵画に取り組みたいと思っています。他人の描けない世界を描けたらいいですね」
【写真】「将来的には漫画とイラストを融合させたい」と語るなだちえんとさん(名古屋市内の事務所)
<ストーリー部門>小松 健己さん
横山さんの姿に奮起
力強いタッチ、審査員をうならせるほどの絵のうまさで、見事大賞を射止めた小松健己(たつみ)さん(79)=東京都田無市南町四丁目。少し足が不自由なものの、背筋がシャキッと伸びた小松さんの姿を見れば、作品にみなぎるパワーにも思わず納得してしまう。
「小さいころから挿絵画家になるのが夢でね、投稿マニアだったんだ。自分で描いた絵を雑誌に送って、随分小遣いにしたよ」
黒潮マンガ大賞への応募は初めてだが、その他の応募、入選は少年時代から数知れずというつわもの。昭和二十二年ごろには、請われて高知新聞社発行の「月刊高知」などの挿絵や漫画をかいたことがあり、同二十八年に上京してからは教材関連の出版社に勤めて地図やカットを手掛けていた。絵のうまさは当然。
小松さんは、高知県からオホーツク海に面した北海道湧別町へ開拓に出ていた両親のもと、大正八年に生まれた。十五歳の時に父が倒れてからは、木材の搬出などさまざまな仕事で家族六人の生活を支え、昭和十九年に父の故郷、安芸市川北へ引き揚げた。受賞作「タア爺の告白 神様はいた」は、当時の隣人・小松利吉さんの体験談だ。
「昭和二十年八月十八日、神社も伊尾木の実在の場所。二回聞いて、強烈に残ってたんだ。利吉おやじの供養にかきたいとずっと思っていた」と明かす。
勤めていた会社の解体に伴い、十七年前から悠々自適の生活。漫画は何と三十六年ぶりだが、その心は「五月にNHKの番組で元気な横山隆一さんを見て奮起したの。十も年上の人が現役で頑張っているのに、へたっておれんよ」。
賞の存在も、安芸市に住む妹が送ってくれる横山さんの本紙連載「鎌倉通信」で知った。実は横山さんには上京の前後に世話になったが、三十年以上連絡していないという。ささやかなお礼の意味も込めた応募だった。
「北海道開拓時代の話もかいておきたい」と次作にも意欲。「でも、応募はどうかな。『黒潮マンガ大賞は新たな漫画家を発掘し育てるのが狙い』でしょ、なんか申し訳ないじゃない」と、ちゃめっ気たっぷりの笑顔を見せた。
【写真】「年もいってきたので目の見えるうちにいろいろかいておきたい」とパワフルな小松さん(東京都田無市)
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