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記者たちの風景 今、何が足りていないのか どこを目指し取材するのか(2004年9月2日・朝刊別刷)
【写真説明】高知新聞の編集局。取材から戻った記者が昼も夜もカタカタとパソコンに向かう。読者に知らせるべきこと、伝えたいことはいっぱいある。取材、執筆に終わりはない
■ぎらぎらするもんが…「『高知新聞の記者はおとなしい感じがする』。いろんな新聞社の記者に会ったことがある人から最近、そう言われた。言われて、そういえばそうかなあ、と。なんかこう、ぎらぎらするもんちゅうか、そういうもんが少ないんかなあ、と」コーヒーを2口、3口すすって“ヨリ”が言った。依光隆明、47歳。身長160センチ余りのひょうひょうとした記者。「今の高新記者に足りないものは?」と問うと、少し考え込みながら「記者たちの風景」を語った。 北海道大学4年のころ、元通信社記者、故斎藤茂男の「わが亡きあとに洪水はきたれ!」を読んだ。工場労働者の人生模様を描きつつ、社会の在り方を問うたルポルタージュだった。依光はその後、斉藤の作品をむさぼるように読み、「記者」という仕事を志向するようになった。 元副知事逮捕にまで及んだ県闇融資事件。依光はその端緒を最初につかんだ記者だ。断片的な情報をほぼ3年がかりでつないだ。「依光ファイル」と呼ばれる膨大な取材資料を蓄積し、折に触れて「事件」も掘り起こす姿は、後輩からせん望のまなざしで見られる。 編集局への視線には優しさと厳しさが入り交じる。頭でっかち。フットワークが鈍い。やりたいことを見つけ、やりがいを持って仕事をすることがなかなかできないでいる―。後輩を育てるのに熱心な依光だが、一部のそういう記者のことを少し心配している。 「とにかく書かないかん。新聞はスピードもいる。おれら、学者じゃない。かっちりした結論までいらん。取材したことをまず読者に出さないかん」 「販売のシェア高いし、強い競争相手がおらん中でどん欲にやる姿勢を保つ厳しさはあるけど、なんでもできる、この会社。どんどんやらな」 先日、「□△の件、面白い。おい、ケン、□△のこと、取材して読ませてくれ」と話す社会部の記者を「自分が面白いやったら、自分で取材せえっ」と一喝した。顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。 記者にはいろんな個性、タイプがある。それを大事にしたいし、多分、この会社は大丈夫、と思っている。 しかし、「新聞社はなんとゆうても『人』やから。きちんと後輩育てんと、20年後、やばいことになる」とまじめに思っている。
■人とかかわっている?依光同様、若手の間で目標になっている記者の一人が天野弘幹。依光より10歳年下。違うことは違う、とはっきり言う記者だ。その天野が昨年12月、会社近くの喫茶店で依光に「思い」をぶつけた。そのころ、依光が作った連載企画のコンテ(説明書)に天野は強い違和感を抱いていた。何度読んでも気に入らなかった。霞が関の官僚や故司馬遼太郎の言葉などが引かれたコンテだった。 「ヨリさん、東京に行って、人の暮らしとか、現場が見えんなってるんじゃないですか(注=依光は昨年から東京支社編集部長)。取材する世界が狭くなって、ほんで、そこで会う官僚の言葉とかがヨリさんの中で大きな意味を持つようになったり…。あの『美しい国』という言葉、僕、おかしいと思う。人より先に国があるみたいで…。誰にとっての『美しさ』なんすか」 じっと聞いていた依光は「官僚だっていろいろおる。司馬遼太郎も天野が言うような部分だけじゃない。いろいろ読んでみたけど、司馬史観、一般に言われちゅうようなこととちょっと違う」。 ざわざわした喫茶店の一角。何度も一緒に仕事してきた2人が、一つの企画をめぐり、一緒にやれるか、やれないか、どんよりとした表情で、ぎりぎりの話になっていた。 結局、天野は上司にこの企画からは外れたい、と申し出る。依光は企画の中心記者として残った。 かつて立花隆氏や故土門拳氏らも受賞した日本ジャーナリスト会議賞を、天野は「流転―その罪誰が償うか」と「脳死報道」で2度受けている。 流転の取材の時は毎日毎日、数カ月、山深い嶺北に暮らす731部隊の元隊員のもとへ通った。同僚が帰った夜遅く、山から会社に戻り、元隊員の言葉を反すうしながら、ノートを整理し続けた。依光は天野を「白い綿で人を優しく包むようにして話が聞ける人間」という。 そんな天野に同僚たちのことはどう映っているのか。 「みんな、今、あんまり世の中の人と交わってないんじゃないですか。毎日、忙しい、忙しいって言うけど、どうですか。忙しさの中身、何か違わんですか」 記者は毎日、記事を書く。情報を早く整理するため、例えば、各種組織の幹部、要職の人たちと多く会う。取材上、それはかなり大切なことだが、多くの記者がそれを仕事のベースにすると、毎日さまざまな場所でさまざまに暮らす人たちとの日常の交わり、付き合いは減ってしまう。 「記者が世の中とずれる。そういうの、一番、怖いですよ。僕はそう思います」
■出せるか、出せんか…警察担当の記者がいる。事件記者はかつて新聞社の「花形」ポジションだったが、昼夜なく動き回る仕事のきつさからだろうか、事件記者を志願する若手が最近は減ったといわれる。竹内誠は入社14年目。支局時代を除いてずっと事件記者で、数年前から県警担当キャップを務めている。 県警の捜査費問題。その初報を書く昨年7月まで、竹内は長く潜行取材を続け、ようやく記事にできる段階までこぎ着けた。が、一報を書く段階で、大きなプレッシャーをしょいこんだ。 どんな仕事もそうだし、どの記者もそうだが、特に個人情報にも触れやすい事件記者にとって、取材する組織や個人的な「ネタ元」(取材源)との付き合い、信頼関係は絶対的なものだ。取材分野が分野だけに、その関係なくして必要な奥の深い情報は取れない。 竹内の取材がいよいよ煮詰まってきたころ、県警幹部は本社にやって来て、「間違った」記事を出さないよう“要請”していた。もちろん、編集局幹部は突っぱねていたが、竹内は長く付き合ってきた複数の警察官からも「書いたらおまえとの関係、終わり」と言われていた。関係が切れたら、もうネタは取れない。どの全国紙にもどのテレビ局にも負けてはならない地元紙が、これから他社に「抜かれる」(先に報道される)ことにもなりかねない。 書けるか、どうか。しばらく悩んだ。そんなある晩、社会部長の中平雅彦が居酒屋で言った。 「誠よぉ。記者の取った情報は読者のもんやろ。情報、おれらのもんじゃない。かまん、出せえ。よそに抜かれても、かまん」 背中を突かれた、と竹内は振り返る。 「あれで、吹っ切れた。言われたら当たり前のことやけど、そんなこと、あんまり考えてこんかったから。おれら毎日、苦労して苦労して、こんだけ苦労して取ったこのネタ、おれのもんやろ、と。『記者には取材する力がいる。書く力もいる。もう一つ大事なのは原稿を出す力』『オフレコ(記録をしない、記事にしないことを前提としたやりとり)の書けん情報ばっかり集めても仕方ないじゃん』。それまで、いろんな人に言われた言葉も思い出した」 ◇ ◇ 高新編集局。ただ今、内外勤合わせ166人。こけたり、泣いたり、笑ったりしながら、ニュースを求め、うろうろしている。
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