学院長に誘われ、トレヴィーゾから約三十キロ離れたサン・ドナ市の「サン・ドナ・フィルハーモニー音楽&バレエ学院」で声楽の講師を始めて三年余り。最初のころは授業中にイタリア語を間違わないように、と緊張の連続でしたが、最近は肩の力も抜け、生徒の顔を見るのが楽しみになりました。
私の受け持ちは、三十分間の発声だけの授業と一時間の普通の授業の二種類。生徒は年齢もまちまちで、クラシック関係者だけでなく、ニューミュージック系の人もいます。
昨年の生徒に六十歳のテノール歌手がいました。彼は世界的に有名なテノール歌手、故マリオ・デル・モナコの生前中の弟子。既にいろんな所で歌っているプロの歌手です。素晴らしい声の持ち主の彼が「この年になって恥ずかしいんだが、呼吸法や発声法で分からないところがある。レッスンしてほしい」とやってきたのです。
その彼は大きな“秘密”を抱えていました。レッスンを受けていることを家族にも内証にしていて「友人とカルタ遊びをする」とうそをついては週に一回、通っていたのです。「恥ずかしいので家族には内密に!」という彼は、娘のような年齢の私の言うことに真剣に耳を傾けるのです。その姿には、敬意を表さずにはいられませんでした。
また、オペラの国・イタリアだけに、ニューミュージック系の歌手を目指す生徒にも素晴らしい声や歌唱力を持っている人がいます。彼らは仕事帰りで疲れていても、レッスンが始まると真剣そのもの。こちらも自然と力が入ります。
セミプロ級の歌手ともなれば、声の状態維持を真剣に考えます。歌手にとって声は大事な“楽器”ですから、のどの管理には気を遣います。歌う前に必ず温かいものを飲むというのもその一つ。生徒にも知る限りの“特効薬”を教えます。
教え子の中に、ロックコンサートの舞台に容器に入れた温かい紅茶を持って上がった青年がいました。歌っては飲み、飲んでは歌い…。その声は絶好調で、お客さんの反応もすごかったとか。歌い終えていろんな人から声を掛けられ、彼も上機嫌。ある人が「すごいコンサートだった。見たよ! オレ。(舞台で)かなり飲んでたじゃないか! 飲んでるとノリも最高だね」。どうも、酒を飲んでいたと勘違いしたようで、彼は笑いをこらえるのに必死だったとか。「紅茶だなんて絶対に言えないよ!」
生徒たちの秘密? を隠し持つあやしげな声楽講師ですが、生徒にとっても、歌うことイコール喜びであるよう心より願ってやみません。私にとってそうであるように。
ビーバ(万歳)! カンターレ(歌う)! ビーバ! イターリア!
=おわり=
【写真】講師をしている音楽学院。レンガ色の建物が重厚さを物語る(サン・ドナ市)
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<プロフィール>
高知市出身。高知学芸高から作陽音大に進み、平成四年にイタリアに留学。ソプラノ歌手としてプロデビューし、数々のコンクールで入賞するなど活躍中。その傍ら、サン・ドナ市の音楽学院で講師を務めている。
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