2017.05.19 08:20

声ひろば 2017年5月19日、金曜日

1.ようこそ大型客船
【岡林一彦、69歳、元高知市観光課長、高知市】
 先日、大型客船が2隻高知新港に入港し、それぞれ2千人以上の乗船客のほとんどが日本人でした。
 その中の「ダイヤモンド・プリンセス」は旅行会社クラブツーリズムのチャーター便。新たな取り組みとして寄港地をより深く知ってもらおうと事前に、船内で歴史講座を開催し、たいへん好評だったと聞いております。
 高知編は「坂本龍馬と大政奉還」。新発見の暗殺5日前の手紙から見た船中八策から大政奉還、新政府綱領、そして新国家樹立に向けた龍馬の思いや決意、その行動力が話されました。
 乗客の半数は四万十川、室戸岬などに分かれてオプショナルツアーに出発しますが、残りのみなさんはシャトルバスで高知市内を自由に観光しました。そうした方々への情報提供として、たいへんタイミングよい企画だったと思います。
 高知城歴史博物館に特別展示されている「龍馬の手紙」に直接触れたくて、入場した人も多かったようでした。
 心のこもった歓迎イベント。そして出港イベントのよさこい鳴子踊りの時には、デッキいっぱいに鈴なりのみなさんの体がリズムにあわせてゆれ、土佐の高知が記憶の奥にしっかり刻まれて次の寄港地へ向かわれたことでしょう。

2.絶品「イタドリ」
【小野山征男、74歳、高知市】
 「絶品イタドリ」という一文を読んだ。高知市の広報紙「あかるいまち」5月号に載っていた。私はイタドリが好きで、イタドリと聞いただけでワクワクする。イタドリの季節になると木曜市か金曜市に走る。バイクに積めるだけ積んで帰ってくる。
 「爆買いをするもイタドリ600円」
 ご近所の方からも毎年、イタドリをいただく。すると妻は「イタドリ」と「イタドリの皮を入れる袋」と「ザル」の3点セットを私の目の前に置く。「はい、どうぞ」と無言で。
 イタドリは採ることも好きだが、私の場合は皮を剥ぐことも好きなのだ。
 「いそいそと絶品イタドリの皮を剥ぐ」
 高知市の鏡地区では、随分と前からイタドリの栽培をしており、高知セカンドライフ友の会でも、何度か会員に諮って小型バスでイタドリ採りに出かけた。イベント名は「道草を食いませんか」であった。お年寄りのみなさんは、イタドリを見つけると、宝物を発見したような驚きの行動に出る。素早いのだ。採ったら、うれしそうに笑う。
 「イタドリを採る足取りは達者なり」
 その時、私は「昔取ったきねづかの血が今騒いでいるのだ」と思った。楽しい時間は、あっという間に過ぎる。鏡地区のみなさんの作ってくれた山菜のてんぷらなどのごちそう攻めにあった後、お年寄りたちがイタドリを抱えてバスに乗り込んできた。
 「お土産はイタドリ今夜のおかずかな」

3.再配達ありがとう
【宮地温代、73歳、主婦、四万十市】
 先日、宅配便を時間指定で頼みました。ところが急用ができ、その時刻に外出してしまいました。帰ったところ、案の定再配達のお知らせが入っていました。
 時間指定したのに申し訳なく思いながら電話をしたところ、若いさわやかな男性の声で、「いいですよ。こういうことはよくありますから。後ほどお届けします」と、優しくていねいな返事。こちらまでさわやかな気分になりました。
 昨今、宅配便の仕事に従事している方の大変な状況を見聞きします。マンションの階段を駆け上がり、駆け下り、車へ走り、次の配達に向かう映像。階上で受け取ってもらえればいいですが、留守のことも多いということです。未配達の荷物がたまり、翌日に影響があるとのことです。
 大手のヤマトホールディングスは、社員の待遇改善に努めると報じられていました。どの会社も、社員あっての会社運営です。社員が、「この会社で働けて幸せ」と思える会社になってほしいです。
 今回の出来事を通して、届けていただく側も、「ありがとう。お世話になります」という気持ちを持ち、配達員さんに迷惑をかけないようにしないといけないと改めて教えられました。

4.心はどこに?
【岩本大河、18歳、高知工科大1年】
 人との交信手段は、時代によって変化している。その中でも現在、最も普及しているのがSNSである。
 LINEやtwitterなどSNSは今や、私たちの生活の一部になりつつある。家族や友人と手軽につながることができ、これなしでは生活ができないという人も多々いるのではないだろうか。
 その機能はすさまじいものであり、人との「距離」を感じさせない。SNSはどんなに遠くにいても他人と心を通わせることを可能にした。
 しかし、SNSは近くにいる人と直接に心を通わせることを奪ってはいないだろうか。現代人は画面に向かって、必死に感情を表現している。
 つまり、心を電波の世界越しに伝えようとしている。しかし、画面に映っているのは人ではなく、ただの動画なのである。
 人の感情を表現する視線や声、表情などはスマホ越しに伝えることができる。しかし、心はそうはいかない。目の前にいるからこそ伝わることもあるのではないだろうか。
 いくら画面上で喜怒哀楽を表現しても、その本当の心は画面には映らないのである。目の前にいてこそ、初めて人と心を通わせることができるのである。
 人と心を通わすということは、目を「画面」ではなく「人」に向けることなのではないだろうか。


《母の日特集》

1.お母(か)やん本当はね
【松田久、73歳、四万十市】
 子供の頃、山奥にある生家の柱の穴に、いつの間にか5円玉が入っていました。ある日、自転車で鐘を鳴らしアイスケーキを売りに来たので、とっさにその5円を握りしめ「おんちゃん待って」と大声で呼び止め、暑い日にアズキ入りの味を楽しみました。
 しかしうれしさもそこまでで、その夜のうちに兄3人と共に母に正座させられ、「この家に盗人がおる。正直に言え」と責められたのです。誰ぜよと顔を見合わせるも、母の鋭い目は私に向いたままで、兄たちは解放され、顔を上げれない私が残されました。
 母はその頭をさすりながら、「8人の末っ子のお前に、一生次の事を実行し続けてもらう」と言いました。「お金や物が欲しかればまず働け。取り勘定(収入)と使い勘定(支出)をよく計算しよ。ここを間違えな。盗んだ金は取り勘定にならず罪になる」とさとされました。
 あの時父に知られるのが怖くて口で謝らず、盗みも認めずのままでしたが、ずっと心に引っかかっておりました。お母(か)やんゴメン、本当はね僕です犯人は。
 先日40回目の命日に墓参りも済ませ、もうすぐ母の年に追いつく今、つくづく思います。罠(わな)まで仕掛け、はぐくみ守り育ててくれたご恩、この時期がくるたび思いが深まります。今日まで何とか来れたのも、大好きな優しい人、今でも夢に出るお母やんあなたのおかげです。ありがとう。

2.母に習ったハーモニカ
【小西澄子、73歳、主婦、高知市】
 私たちの育った頃は楽器の普及もなく、家庭にあったのはハーモニカぐらいだった。母が時々吹き方を教えてくれた。最初は「鳩ぽっぽ」からだった。
 実家は農家で母はたくさんの田や畑を作り、4人の子供を育ててくれた。父は田植え、稲刈り以外は、仕事でほとんど家にはいなかった。
 両親も他界して四十数年。誰も住んでいない実家に帰ると四季折々の草花が咲き乱れ、お帰りと言ってくれているような気がして、昔のなつかしい思い出でいっぱいである。
 「孝行したい時分に親はなし」
 昔、母に習ったハーモニカで自己流ではあるが知っている歌は全部吹けるようになっている。ハーモニカを吹きながら心の中で今、お母さんありがとうと言いたいと思う今日このごろである。

3.母を思い後悔の日々
【福留礼子、88歳、四万十町】
 もう70年ぐらい昔になるが、昭和25年9月、里の母は不治の病であっけなくこの世を去りました。今は60歳はまだまだ若いけれど当時はもう老人の感じで、着物も地味で見た目もおばあさんでした。
 私は婚家での暮らしも浅く、まだ里の母には甘えたい頃で、悲しみのあまり母の後を追いたいとさえ思ったけれど2児の母になったばかり。乳児を背負い泣きながら母の遺体に取りすがると、近所のおばさん連中に涙をこぼしたらいかんと止められました。
 今は2人に1人はがんにかかると言われる時代で早期発見で治る可能性もあるようですが、昔はがんと言われたら即、死病と思いました。
 母の場合は病気が進んでいたのか手術はできませんでした。入院となり2カ月ぐらいで退院したけれど男世帯の家は仕事が山積してたので無理がたたったのでしょう。私はもう一度入院を望みましたが、父の意向で家庭療養となりました。
 それから母は日ごとに痛みを訴え、痛み止め無しでは我慢も限界があり、自死を選び悲しい最後となり、かわいそうでした。病院だったらもっと楽だったろうと…。
 婚家の母にも里の母にも母の日にあらためて贈り物をした覚えはなく、その後自分の暮らしが落ちついてからは今なら何でもしてあげられたのにと後悔の日々です。昔の言い伝えに「親孝行したい時には親はなし、さりとて墓にふとんは着せられず」。毎年母の日が巡ってくるたびに悔悟の念ばかり。双方の兄弟姉妹も皆遠くに逝き、里も廃屋、墓もよそに移され天に祈るばかりです。

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