2017.05.03 08:20

【憲法施行70年】危うい個人より国家優先

 きょう5月3日は日本国憲法が施行されて70周年となる記念日だ。
 基本的人権の尊重は国民主権、平和主義と並ぶ、憲法の基本原則の一つとして揺るがせにできない。
 憲法11条はいう。「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として現在及び将来の国民に与えられる」
 崇高な理念といえる。だが基本的人権の核をなす「個人の尊重」(憲法13条)は、国家の在り方との関係でたびたび軋轢(あつれき)が生じてきた。
 特に憲法改正に前のめりな安倍政権の誕生以来、その傾向は顕著だ。首相はまず機密漏えいに厳罰を科す特定秘密保護法の成立を急いだ。行政機関に対する取材や報道を制限し、国民の「知る権利」を侵害する恐れは今に残したままだ。
 次に政府が目指したのが、集団的自衛権の行使を可能にする、安全保障法制の成立である。世論の支持も広がらず、衆院憲法審査会で参考人の憲法学者3人全員が法案は「違憲」と主張したにもかかわらず、与党は採決を強行した。
 先日は安全保障関連法で可能になった米艦防護が初めて実施された。もはやなし崩しの感がある。
 そして今、国会では過去3度廃案になった「共謀罪」が、「テロ等準備罪」と名を変えて審議されている。犯罪が行われていなくても取り締まりの対象になる。現行の刑法体系が根底から覆される。
 事前の捜査では、対象者を継続して監視する必要が出てくる可能性がある。市民の言論の自由も制約を受けかねない。
 これまでの一連の法整備をみると、互いに関連し合った一筋の流れが浮かび上がる。憲法の大原則である「基本的人権」「個人の尊重」という理念が後退し、圧迫され、代わって国家という巨大組織の論理が優先されている危うさだ。
 憲法という最高法規の性質からすれば、話があべこべなのではないか。現行憲法は権力者側の横暴や行き過ぎに歯止めをかけ、権力を縛る「立憲主義」を本旨とする。
 国家が個人の思想信条の自由や表現の自由など、内心に立ち入ることはできない。だがこれまでの法整備では、どれだけ厳密な議論がされてきただろう。
 肥大化した安倍1強政治の中で、民進党など野党勢の追及の矛先は先細りする一方だ。相次ぐ閣僚の失言問題などで、国会には緊張感が感じられない。
 法律はいったん成立すると、拡大解釈の余地が生まれやすい。明治憲法下でも次々に法律がつくられ、自由の弾圧や思想統制などで戦争への坂道を転げ落ちていった。
 かけがえのない基本的人権を守るために、個人と国家の在り方を考え続けたい。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(憲法12条)
カテゴリー: 社説


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