2017.04.20 09:16

高知出身の漫画家・中西さんの遺族捜す 師匠が遺作の書籍化企画

はやせ淳さんが情報提供を求めて描いた漫画
はやせ淳さんが情報提供を求めて描いた漫画
 漫画家のはやせ淳さん(64)=埼玉県=が、早世した高知市出身の漫画家、中西章文さんの作品を世に出したいと遺族を捜している。生きていれば中西さんは60代。1980年代に「月刊漫画ガロ」に作品を発表していた。遺作をまとめて電子書籍にするつもりだが、承諾が必要な遺族の所在が不明という。はやせさんは経緯を漫画にし、17日にツイッターで呼び掛けたところ、1日で2万人以上からリツイート(転載)される反響があった。「一人でも多くの方に彼の漫画を知ってほしい」と情報を求めている。 
 
1998年、高知市に戻る前の中西章文さん。はやせ淳さん(右)も引っ越しを手伝った(東京都内)
1998年、高知市に戻る前の中西章文さん。はやせ淳さん(右)も引っ越しを手伝った(東京都内)
 はやせさんによると、中西さんは10代で高知市から上京し、はやせさんの下でスタッフとして3、4年間働き、独立。1982年に月刊漫画誌「ガロ」で悲願のデビューを果たした。タイトルは「夢の中」。中学生の女の子と中年男性を主人公にした短編だった。
 
中西章文さんのデビュー作「夢の中」。1982年の「ガロ」10月号に掲載された
中西章文さんのデビュー作「夢の中」。1982年の「ガロ」10月号に掲載された
 以降も写実的で哲学的な作品を描き、ガロに何本か掲載されたが、シュールで難解、万人に受ける漫画ではなかったという。
 
 「商業路線とは違う場所で、自分の世界を追求した。そんな彼に僕は憧れた。食べるのがやっとで、独身を貫き、不器用な人でした」とはやせさん。
 
 中西さんは警備員のバイトをしながら描き続け、単行本化を夢見ていた矢先に、がんが発覚。高知市愛宕山南町の実家に戻り、治療のため入退院を繰り返した。長い闘病の末、1999年12月に高知市内の病院で亡くなったという。40代だった。
 
 亡くなる直前、中西さんの母親から「息子が会いたがっている」との連絡を受けたはやせさん。高知市知寄町1丁目の図南病院にお見舞いに行った。その際、中西さんの兄が働いていたウナギ料理専門店で食事をした。場所は覚えていない。母親の名は徳岡万里さん。中西はペンネームで本名は徳岡の可能性もある。
 
 はやせさんは「漫画アクション」に連載した「駅弁ひとり旅」で知られ、写実タッチの作風などで活躍する人気漫画家。中西さんの遺作を集め、電子出版の準備を進めていた。遺族の承諾を得ようと2017年2月に母親に手紙を送ったが、「あて所に尋ねあたりません」で返送された。
 
 情報を求め、中西さんの人生や経緯を漫画にして自身のツイッターに掲載。「彼の夢をかなえてあげたい」と呼び掛けている。
 
 情報提供はマンガジャパン事務局(電子メール=info@manga-japan.net)まで。

カテゴリー: 主要文化・芸能社会


ページトップへ