2017.04.01 14:32

4/1高知FD開幕戦 伝説の男マニー 高知で夢中にプレー

肩を組むマニー・ラミレス選手と駒田徳広監督(高知県越知町の町民総合運動場)
肩を組むマニー・ラミレス選手と駒田徳広監督(高知県越知町の町民総合運動場)
 元米大リーグのマニー・ラミレス選手(44)が電撃入団した高知ファイティングドッグス(FD)が1日夜、高知球場で開幕戦を迎える。YOUは、なぜKOCHIに?―。

 月刊スラッガー(日本スポーツ企画出版社)の2011年7月号はマニー・ラミレス特集。マニア垂ぜんの高額レア本は、記録的豪打の伝説を記している。

 伝説1=圧巻の4打席連続本塁打。メジャータイ記録を作ったこの1998年から11年連続で球宴選出。

 伝説2=2004年ワールドシリーズでは猛打でMVPに。ボストン・レッドソックスを86年ぶりの全米一に導いた。

 伝説3=2005年4月に放った一発は、照明を超えて球場外に飛び出し、街の電車の線路にまで到達した。間近に見た選手が「カーブを宇宙にまで運んだ」と評した。

 このほかプレーオフでのサヨナラ弾、通算555本塁打…。

 2009年と2011年の禁止薬物の使用発覚はあるが、天衣無縫なプレーや振る舞いと併せて語られる足跡は、まばゆい陽光の中にある。

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 「彼はなぜ高知に来るのでしょうね?」

 そんなメディアの質問に、高知FDの駒田徳広監督は、「僕も分からないよ」と気さくに笑わせた。こちらも伝説の人だ。

 奈良県出身。県立桜井商業時代には4番でエース。夏の県大会決勝の無死満塁の場面では、押し出しの敬遠をされたという。

 駒田さんによると実際は、明らかにコースを外す敬遠ではなかったらしい。しかし後の打席で今度こそ満塁本塁打を放ち、相手の天理高校の監督が「全部歩かせていいと言ったのに」と話したことで、「満塁なのに敬遠された」という話に化けた。

 「奈良のマニエル」と呼ばれて巨人に入団。プロ1軍の初打席を満塁ホームランという史上初の偉業で飾った後は、満塁時の通算打率3割3分2厘、打点200、満塁となるとめっぽう強い、「満塁男」の名ではせた。

 晩年は通算2千安打で名球会入り。ここぞの大舞台で光芒(こうぼう)を放った、日本のグランドスラム男だ。

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 カーンと打球音が響いている。高岡郡越知町のグラウンド。

 時間通りにやってきたマニー選手が、弟のような選手たちに交じって練習を始めた。

 「ノー!」と叫んだのはマニー選手だ。自分の打撃に納得がいかないらしい。

 駒田監督の元にまで走ってきた。「どこが悪いんだ? 左足が開くんだ、助言をくれ、助言をくれ」

 駒田監督が身ぶりで応じる。「右の軸足にもっと体重を」「OK、OK、サンキュー」とマニー選手。

 再びほかの選手たちと打撃フォームの確認を始めた。駒田監督は、どこか遠い目で姿を追っている。

 「熱心に学ぶ姿勢が子供みたいだ。真剣だけど、遊びに夢中って顔でしょ? 永遠の5歳児だ。僕もそうなんだけどな」

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 マニー選手は2011年に電撃的に引退発表後、再びマイナーチームと契約し、2013年は台湾に渡ってプレーした。

 その後も米国のマイナーやドミニカ共和国でプレー、高知市で行われた2017年3月のFD入団会見では「ずっと(ドミニカなどで)トレーニングをしてきた」と語っている。

 駒田監督も選手時代は最後の最後まで現役にこだわり、チームの引退勧告を拒んだ。戦力外通告を受けた後も所属先を探した。

 楽天、横浜のコーチを経て一昨年、「もう一度ユニホームを着てグラウンドの土を踏みしめたい」とやって来た先が、縁もゆかりもない高知だった。

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 写真撮ってもいいですか?と頼むと、「オーケー」と二人。

 日本の小さな町で練習する元スーパースターと、日本の元スターが笑って肩を組んだ。

 大リーグの頂点に上り詰めたマニー、熟年プレーヤーになったマニー。そしていまは「少年時代のマニーだよ」と駒田監督は“解説”した。 

 「彼がやろうとしていること、見せようとしていることは、お金とかそういうものを超えて、『野球が好き』ということ」「楽しいことならどこだって行く、何だってやる。そんな気持ちなんだと思う」と力を込めた。

 YOUは何しに高知に? マニーの答えは多分これだ。 
 
 「僕はここへ、野球をしに来た」―。

 ソフトバンク3軍との開幕戦は午後6時から、高知球場で。

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カテゴリー: スポーツ主要FDスポーツ


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